50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

in the war

戦争を知らない世代として、ここに書きたい。

のではなく、単純にwarという言葉を「使って」よい人間と、そうでない人間がいるのだなと思った出来事について。

友人と三人で、渋谷のボウリング場に行った時のこと。

いつものようにボウリング場は若者や家族連れで一杯で、我々が受付した時点で、待ち時間30分と言われた。

することもないので、受付脇にあるゲームコーナーの隅でおしゃべりしていると、続々と人がやってくる。

その中に外国人の男女四人連れがいて、同じく待つことにしたらしい。そして、そのうち男性二人はゲームコーナーにあった射撃ゲーム(実際の銃型のコートローラーを使うやつ)を始め出した。

男性二人はどちらもマッチョ型だったので、銃を構えた様があまりにも本格感があったので、まずそこに笑ってしまったのだけれど、その後の極め付けは、彼らのボウリングの番が回ってきて受付に呼ばれた時のこと。

ちなみに、このボウリング場は照明を落としたフロアと普通のフロアがあって、我々は普通のフロア希望を出していたところ、外国人の集団はどちらでも良いとしたらしく、我々より先に順番が回ってきた。

受付に呼ばれた女性陣に「行くよ」と呼ばれた時の男性陣のリアクション。

『wait. we are in the war』(キリッ)

いや、もう、あまりにもガチ過ぎて吹いちゃったし。

でも、その台詞はあまりにも似合っていたし、同じ台詞を日本人が言う資格はないな、と。

残念ながら、彼らとはそれっきりだったのだけれど、彼らのボウリング姿をぜひみたかった、、


それにしても、「戦争」という言葉はあまりにも遠いけれど、「war」という言葉には嫌な現実感がある。
気軽に戦争という言葉は使いたくないけれど、気軽に戦争という言葉を使えるくらいには、僕らは平和な世界を生きている。

繰り返し、メニュー。

近所にそこそこ安い中華レストランがあって、仕事が遅い日のローテーションで月に数回通ってます。

もう通い始めてから一年以上経ちますが、一年くらい前から頼むメニューは一つだけ。

 

脇目も振らず「黒こしょう炒め定食」。

 

理由は単純に店のメニューの中で一番美味しいと思っているからということ。

 

流石にたまにはメニューを変えたらと言われるけれど、結局のところ月に数回しかいかないわけで、その数回のメニューが毎度同じなのは、通年単位の献立のローテーションを考えても不自然ではなく、むしろそれくらいがちょうどよい。

 

そんなことを思いながら、メニューを見る振りをしながらも、「黒こしょう炒め」を毎度頼んでいます。

風邪とマラリア

風邪を引きました。

何故か必ず自己申告される病気、風邪。

 

もしかしたら、もっと悪い病気かもしれないのに。でも、たぶん、これはきっと風邪。

 

つまるところは「調子悪い」=「風邪」なのが、この日本。ところで、アフリカでは「調子悪い」=「マラリア」。

 

西アフリカのある国の病院では、診断表の欄に「重いマラリア」「軽いマラリア」というのがあって、どっちもマラリアだろう、と突っ込みたくなるところ、でも、現地の人にとっては風邪=マラリアなので、風邪っぽい人に「どうしたの?」って聞くと、大体「ちょっとマラリアで、、」という答えが返ってきます。

 

さらに、よくわからない現地特有の不思議な薬があって、それは病院でもらう薬よりも値段が安いので、大抵の人はそっちを飲んでます。

 

その薬が効くのかは正直なところよくわからないけれど、みんな、結局は風邪なので、そのうち治るので、その薬が効く、ということはみんなが信じるところ。

 

それにしても、「マラリア」って概念がそこまで拡大されることはとても興味深い。「風邪」も使いやすい言葉だとは思ったけれど、国が違うと言葉の概念が変わるというのは面白いものです。

 

ちなみに、アフリカのとある国では「風邪」という概念はありませんでした。

 

 

謎の曲「9:50」

うちの会社は一応、残業のリミットが22時までとなっています。

そして、21:50になると、どこからともなく、不思議なメロディが。

 

帰宅アナウンスの音楽なのだけれど、

なんとも言えない倦怠感に満ちたメロディ。

残業でひたすら疲れた身体をただひたすらに慰めもせず、

むしろ疲労感を増すようなメロディ。

 

作曲した人を責めるつもりはまったくないけれど、

その曲を最終的に採用した責任者、出て来い。

 

 

9:50に相応しいメロディは何かなと考えて、思いついた曲は、、、

 


Squarepusher - Iambic 9 Poetry - Ultravisitor - YouTube

 

最後の10分間にちょうど良い長さだと思いませんか。

 

流れてくるメロディ。

TVを持っていないので、いつもRadioを聴いています。

Radioの好きなところは、自分の知らない曲が流れてくるところ。

 

今日はとても気になった曲があって、探してみたら、青葉市子さんの曲でした。


青葉市子 - いきのこりぼくら - YouTube

 

名前は知っていると思ったら、実はTwitterでフォローしていました。

フォローしていたのに、曲はまったく知らなかったのです、笑。

 

さて、YouTubeに上がっているこの曲がとても好いなと思って聴いていたら、

プロモーション用の動画ということで、2:46で終了。

 

このタイミングは絶妙で、もっと聴きたくなってしまう、その終わり方。

 

 

音楽というものは不思議なもので、

好きなメロディは断片的に頭の中でぐるぐる回るのに、

いざ曲を聞く段階になると、断片的に終わってしまうそのメロディは、

一房の虚しさを心の中に生み出してしまうもので、

やはりメロディというのものは曲があってこそのメロディなんだなと。

 

音から一旦離れてしまうと、

一曲まるごとを空で歌えるような曲ってなかなかないのに、

いざ聴き始めると一曲まるごと聴かないと落ち着かなくなってしまう。

 

そう、だから、青葉市子さんのアルバム買っちゃいました。

ワンクリックで音楽は心の中に。

 

「0」

「0」

 

 

本当に便利な世の中になってしまったものだ。

 

 

 

12K

いきなりですが、人の縁というものを大切に思っている人間です。

でも、一方で、人の結婚式の二次会に12,000円を出すのは、正直に惜しい。

 

11月2日の夜、ボランティア団体で一緒に活動していた後輩の二次会に呼ばれ、

世田谷の方まで足を運んできました。

 

その後輩と会わなかったら、その団体には間違いなく参加していないし、

そこでの活動は自分の人生にとってとても貴重なものだったし、

その縁というのは本当に大切なもの。

 

しかし、その団体には数少ない社会人として参加していたこともあり若干のアウェイ。

そして、二次会の空しさを熟知する程には歳を重ねてきているわけで。

後輩の幸せを喜びつつも、そこに12Kという対価があるのかを自問自答してしまう。

 

そこにある違和感のようなもの。

それは、人を祝うことと、お金を払うことにそこまでの相関がないからだと思う。

 

人を祝うことは無形のもの。

それを無理矢理に形にするために式というものがあるとすれば、

そこにお金を払うことはその形に払うことになり、その中身にではない。

 

結婚式シーズンは出費が、、という会話はよく聞くけれども、

これは本音と建前という日本人ならではの現象。

 

もういい加減、二次会とか止めません?

なお、飲み会は歓迎。