50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

繰り返す時代 更新される時代 / 範宙遊泳 の「われらの血がしょうたい」

うーん。

例えば、アイドルのようなビジネスというのは、お客さんがその都度更新される(その時代の若者。多くは10代)ので、ビジネスとして成立するわけで、それはもうビジネスなので、合理的で理解しやすいのだけれど、、、

同じようなことが表現の領域でも起きるということがとても興味深い。しかも、それは観客側ではなく、表現する側について。

今回を観て、そのあとにTwitterで色々な人の感想を見て、改めて思い悩んでしまった。。。

 

結局のところ、表現する側も生きていて、その瞬間の表現がすべてで、その手法がかつてこの世の中に表出していたとしても、それをやらざるを得ない、というのが運命のようなもので。

この舞台に出てきた、すべての要素に既視感を感じてしまった。。。たぶん、それは表現する側の問題というより、観る側の問題なんだろうな。

 

それでも、この世の中には毎回のように表現を更新し続ける稀有な劇団もあるわけで(もちろん、それはチェルフィッチュ以外にないのだけれど)、そこに希望を見て、観続けるしかないわけです。

 

パレスチナ問題における構造的問題について

日本では表面的にしか報道されないパレスチナ問題。イスラエル問題とは報道されないところがすでに偏っているとは思いますが、いずれにせよ大手メディアではきちんとした報道がされていないというのが実態です。なんとなく、みんな「ハマスが悪いやつら」だと思っていますよね。(ちなみに、ハマスは「100%」民主主義的な方法(=選挙)によって与党となっています)

現状の把握という意味では下記のページが詳しいかと思います。


時事ドットコム:戦闘50日間の爪痕〜パレスチナ自治区ガザ〜

 

さて、ここでは詳しくパレスチナ問題の解説をしたいのではなく、先日、恵比寿のNADiff a/p/a/r/tにてシンポジウム「パレスチナ問題と表現の〈閾〉をめぐって」に参加して思ったことを書きたいと思います。

TALK EVENT「パレスチナ問題と表現の〈閾〉をめぐって」

 

パレスチナ問題について詳しく知りたい方はgoogleで検索してください(笑)。たぶん、色々なことが書いてあるとは思いますが、僕が一つだけ"現状"のパレスチナ問題について言及するならば、この問題は「解決することは不可能」だということです。もうギブアップです。この理由が今回のテーマ、すなわちパレスチナ問題が抱える構造的問題です。

 

ギブアップ、と書いてしまうと冷たく聞こえますが、この構造的問題を示した上で何をすべきかについては最後に述べるつもりです。

 

 

そもそもイスラエル国家というのは、戦争、そしてホロコーストを経て、世界各地に逃れていったユダヤ人(特にヨーロッパ系のユダヤ人)が、悲願として旧約聖書に書いてある「自分たちの土地」に国家を建設したことが始まりです。

その土地には長い間パレスチナ人が住んでいました。しかし、イスラエルは戦力をもって、パレスチナ人を追い出し、その結果が現状のイスラエル、そしてパレスチナ自治区ヨルダン川西岸ガザ地区)という非常に歪んだ形を生み出しています。パレスチナ人は当然怒っています。何故ならその土地は長い間自分たちが住んでいた土地だからです。しかし、イスラエルにとっては、そこは「自分たちの土地」なのだから無視するしかありません。

 

はい。お分かりの通り、もう詰んでます。

 

旧約聖書に書いてある自分たちの土地」と「古くから自分たちが代々住んでいた土地」という2つの主張が成立することは構造的に不可能です。そもそも歴史というのは解釈でしかないので、同じ土俵で語りあることが無理ですよね(日本と韓国を見ても一目瞭然なように)。

 

というわけで、この歴史観による構造的問題を挙げるだけで、パレスチナ問題が解決不可能だということは言えるのですが、これだけだと寂しいのでもう少し続けます。次は、「何故イスラエルはここまでひたすらに破壊を続けるのか」について。この点についても構造的問題を発見することができます。

 

パレスチナ問題について実態を調べると誰がどう見ても被害者の大半はパレスチナ人なので、問題の解決のためには「イスラエルをどうにか落ち着かせる」という方向で考えがちですが、ここではイスラエルの立場になって少し考えてみます。

 

まずは中東の地図を宗教の観点から見てみます。

中東地域の主な宗教

このリンク先の見て頂くとわかりやすいのですが、中東は「イスラム教」の国ばかりです。つまり、イスラエルは「ユダヤ教国家」という超マイノリティな存在であることがわかります。もちろん「ユダヤ教国家」は国という意味では世界においても超マイナーな存在です(裏世界では違いますが)。

 

正直、この時点で僕は「よくあんなところに住むな」と思ってしまいます。完全にアウェーです。勝ち点3は諦めた方がよいです。良くて引き分け。しかし、イスラエルは「勝ち点3」を取ることしか考えていません。そして、そのためには「強くなる」しかありません。実際に、イスラエルの軍事力についてはこれまでの歴史が証明しています。

 

仮に完全な和平が成立したと仮定してみます。平和な世界においては軍事力は不要になります。むしろ軍事力を放棄することが望まれます。もし、イスラエルが和平を尊重し、軍事力を放棄したら、、、、はい、想像はたやすいです。どう考えてもイスラム教勢力(そしてパレスチナ人)はイスラエルを追い出そうと思いますよね。だって、そもそもそこは「自分たちの土地」なのだから。

 

このような状況下でイスラエルとしては「攻撃をすること」それ自体がその存在証明となります。自分たちが強いということを攻撃することで証明し、そしてそれを常に続けることで、逆説的にイスラエルという国家の存在証明をしようとしています。もはや、その攻撃に正当性はありません。何故なら、その攻撃自体が目的だからです。

もちろん一連の空爆や、入植地の建設等はイスラエルの身勝手な行動だと批判することは容易です。ただし、一方で、イスラエル側の立場においては「せざるを得ない」ことだという風に理解もできます。

 

以上のように、地政学及び宗教的な視点からも、パレスチナ問題が「構造的に解決不可能」であることは明らかです。

 

さて、このような状況で、どうすればよいか。多くのジャーナリストはパレスチナの現状を世界に伝えることで停戦を呼びかけています。先日のシンポジウムでもパレスチナの現状を世界に広めることが重要だ、ということが一つの結論として挙がっていました。

そして、9月末の現時点で停戦は実現しています。

 

もちろん、戦闘が終わることは非常に重要です。死に怯えて暮らさなければならないような義務は誰にもありません。ただし、停戦を実現することがパレスチナ問題の解決ではありません。停戦は現状の構造を内包したままに過ぎません。この「構造的問題」を解決するまで本当の問題の解決はない、と僕は思います。

 

問題解決のための答えは単純です。

それは、この「構造を解体すること」です。あるいは「脱構築」という言葉を使ってよいかもしれません。イスラエルパレスチナの両者による構造を完全に解体し、そしてその両者によって新たな構造をゼロから作り上げること。それ以外にないと考えます。

 

もちろん、この構造は長い歴史によって作り上げられてきたものであり、そう簡単に解体できるものではありません。ただし、「歴史によって作り上げられた」というところにヒントがあります。つまり、逆に言えば「歴史に犯されていない」人間によって作ればよいということです。それはもちろん、これから生まれ、これから生きていく世代に他なりません。

 

パレスチナの現状は悲惨です。停戦を呼びかけることはもちろん重要です。ただし、それだけでは何の解決にならないことを考えると、直近の問題に対応しながらも、この「構造的問題」をどのように解決すべきかをもっと考える必要があると思います。

 

それはきっと、数ヶ月や数年でできることでなく、きっと数十年かけて実現できるような解決策かもしれません。ただ、歴史を振り返るとことの発祥は2000年以上も前のことなわけで、その長さに比べれば数十年というのは短いのではないでしょうか。

 

--最後に--

僕はイスラエルパレスチナも訪れたことがありますが、とても素敵な土地です。地中海に面したテルアビブ、歴史そのものであると言ってもよいエルサレム、そしてイエス生誕地であるベツレヘム。歴史好きにとってはたまらない土地です。観光する場所には困らないし、食事も大変美味しいです。またいつか訪れたい場所です。

 

ひよこ豆のペースト "フムス"

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↓  炊き込みご飯 "マクルーベ"

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イスラエル/パレスチナ問題というのはとても複雑ですが、この問題が仮に解決できれば、どのような世界の問題も解決できるのではと思っています。なので、今回ちょうど良い機会だったので取り上げてみました。

 

まずは、旅行好きな方、ぜひイスラエルパレスチナ)へ!

 

 

ではでは。

図書館のすすめ

きっと使っている人は使っているのでしょうが、それほど周りに積極的に図書館を使っている人がいないので、思い立って「図書館のすすめ」を書いてみました。

 

まずは「基本編」。

 

◆住んでいなくても使える図書館も多い

図書館は基本的には県立もしくは市立なので、居住者あるいは通勤者/通学者でないと使えないと思っている方も多いと思います。実際、市町村によってはそういうところもありますが、東京近郊であれば意外と「誰でも使用できる」図書館も多いです。

僕の知る限り、千代田区図書館や目黒区図書館は「誰でも」使用者登録ができます。ということは、複数の図書館を利用することも可能なので、ライフスタイルに合わせて使い分けることも可能です。ちなみに、僕は一番使っていた時で目黒区、大田区川崎市の図書館を並行して利用していました。

 

◆オンライン予約が可能

これは今となっては当たり前ですが、だいぶ前からほとんどの図書館がオンラインでの予約が可能となっています。図書館のイメージとして「借りたい本が(貸し出し中で)無い」ということも多いと思いますが、オンライン予約が可能になったことでそのストレスが軽減されました。予約した図書については順番が回ってきたら自動的に連絡が来ます。また、オンライン予約では同じ区(市)の全図書館から検索と予約が可能なので、行きつけの図書館にその本がない場合でも取り寄せることができるので非常に便利です。

なお、予約できる数は図書館によって異なります。前述の目黒区は20冊ですが、川崎市は10冊しかできませんorz。やはり、予約最大数はできれば20冊は欲しいところです(これは後ほどの応用編で詳しく説明します)。

 

◆本以外にもCDや漫画が借りられるところも!

多くの図書館にはCDコーナーがあります。内容についてはそこまで豊富ではない場合が多く、また、演歌や歌謡曲、クラシックなどが中心のところが多いです。ただ、前述の通り、オンラインで検索すれば市区内の全図書館から検索可能ですので、欲しいCDを一度検索してみるのもおすすめです。TUTAYAで借りる前に一度図書館で検索してみることをおすすめします。ちなみに、大田区図書館でEXILEを検索してみたらたくさんヒットしました ^ ^ ;

また、これも意外ですが、図書館によっては漫画も取り扱っています。これも一度検索しみてる価値はあるかもしれません。

 

以上が基本編です。いかがでしょうか。意外と図書館が使えると思った方もいるのではないでしょうか。図書館の登録は身分証があればすぐにできます。また、有効期間も3年くらいのところが多いので、時間がある時に一度作ってみることをおすすめします。

 

さて、次に「応用編」です。

 

◆図書館は使い分けるべし!

住んでいる場所によるとは思いますが、居住地と職場が別の市区町村の方は、それぞれの地区の図書館を活用することをおすすめします。というのは、図書館によって「蔵書の傾向が違うから」です。比較的有名な本についてはどの図書館にもありますが、少しマニアックな本については図書館によってあるところとないところが分かれます。また、個人的な経験ですが、特にCDについては市区町村によって扱っている数がまったく異なります。僕が使っていた目黒区 、大田区川崎市を比較すると、図書については目黒区が一番豊富、CDについては大田区が豊富という印象でした。

 

◆オンライン予約は戦略的に!

図書館ヘビーユーザにとって新刊の予約は「戦場」です。人気の小説はデータベースに登録された瞬間におびただしい数の予約が入ります。例えば村上春樹の「1Q84」は、発売後すぐに検索してみたところ、すでに4000件の予約が入っていたこともありました。。これだけの予約が入っている場合、早くても自分の順番が回ってくるまで1年はかかります。ここまでくると「買えよ」って感じですが、笑。

いずれにせよ、一般的に人気のある本は本当にすぐに多くの予約が入ってしまうのは事実。いかに早い整理番号を取るかは非常に重要です。図書館のデータベースにアップロードされるタイミングはまったくわからないため、狙っている本については毎日図書館のサイトで検索をしてみることをおすすめします。

 

◆オンライン予約はやっぱり戦略!

整理番号と関わってきますが、図書館の最大予約可能数の中でどのような本を予約するかは非常に大きな問題です。例えば、20の枠の内、すべてを人気の本の予約で埋めてしまうと、いざ予約が入っていない遠い図書館にある本を取り寄せたい時に困ることになります。予約のメリットは自分の行きつけの図書館ではない同じ区(市)の図書館にある蔵書を取り寄せるという点もあります。ですので、そのような使い方をするための予約枠を2-3枠は常にキープしておくことをおすすめします。

 

最後に「総括」を。

 

住んでいる場所によって状況は異なるかと思いますが、居住地/通勤地で使いやすい図書館をまずは探しましょう。そして、まずは検索してみることです。昔の本であれば、有名な本でも意外と貸し出し可能であることが多いです。そして、新刊については「買う本」と「借りる本」をしっかり吟味すること。そして、「借りる本」については図書館での予約を必ず早めに取ることです。雑誌などは図書館にはないことも多いので単行本を図書館で借りて、週刊誌等は自分で購入する、という分け方もよいかもしれません。

 

図書館は公共のものなので使わないと「損」です。上手く利用して、快適な図書館生活をぜひ堪能してください。

 

では。

 

 

 

 

インターネットの国境線。

アフリカに住んでいた時は同然のことながら家にはインターネットがなくて。

その頃は月に1回くらいに首都に上京した時に行くネットカフェが本当に楽しみだった。でも、そのネットカフェも2回に1回くらいは故障だったり停電だったりで使えなかったして。そして、たまたま使えたPCが日本語に対応していなかったりもして。とにかくインターネットに普通に繋がるということがとてもハードルの高い状況だった。

ネットカフェでも短い通信時間を有効活用するために、事前にPCで文面を作成してメールを送っていたりしたなぁ。あれは画期的な手法だったと思う、我ながら。そして、あんなに長いメールを書くことはもう一生ないのだと思う。

 そう、インターネットの国境線を越えるだけで、生活は大きく変わってしまうもので。その国境線をいつ自分は越えてしまったのだろう、って今更ながら思い返してみるけれど、振り返ったりいつの間にか自分は越えてしまっていたみたい。

 国境を越えて知らない国に行くのは好きだけれど、知らない間に越えてしまう国境に対しては好きには慣れない感情もある。もう後戻りはできないけれど、あの頃がとても懐かしい。

ダイナミックマインド

自分の心が狭いからなのか、あるいは神経質過ぎるのか、わからないけれど、最近出会った少し迷惑な話と感じたこと。

世の中は少しずつ不感症になっている。

まずは、サッカーの試合を観に行った時のこと。指定席を取ったので試合開始前に競技場に着き、座席に向かう。自分の席の一つ斜め後ろに幼稚園年長くらいの男の子と父親の親子が座っていた。

ホームチームのファンのようで親子で観にきた様子。

サッカーの試合が近づき、始まると、応援の音楽が鳴り響く。手拍子を叩く人や掛け声をかける人など、人それぞれなのだけれど、その子供が音楽に合わせて前の(自分の横の)席の背中を蹴り始めた。

間接的にとは言え、振動が伝わってくるので迷惑だなと思いつつも、相手は子供だし、父親が注意するかなと気にしないでいたけれど、そのような素振りはなく、子供はきまぐれに座席を蹴り続ける。

その座席には幸い誰も座ってなかったこともその原因なのだろうけれど、それにしても、自分の行為のその先にあるものに対して想像力が働かないのだな、と。そして、父親も同様に。

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心理学に「ダイナミックタッチ」という用語があって、要は身体感覚の延長を指している用語。例えば、人は目をつぶっていても、その時に長い棒を渡されたとしたら、その長さをわかることができる。

想像力とはダイナミックタッチのようなものだと思っていて、それはあるいは「思いやり」といった概念に繋がるかもしれない。

自分の行為のその先を想像する力を「ダイナミックマインド」と呼んでも良いかもしれない。
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そんなことを考えたのは、今日の羽田行きの飛行機の中の出来事。

窓際の座席。

後ろの中年男性がテーブルを倒し、iPadを置いてどうやら音楽を聴いていたらしく、更にはひたすらテーブルを叩き続けていた。

多分、仕事で疲れた中(こちらだって疲れている)、音楽に合わせて叩いていたのだろうけれど、その振動がこちらにもひたひたと伝わってくる。

とても迷惑な話で、何で人はその先にあることに想像力が及ばないのかと。

ダイナミックタッチは人が生まれながらに持つ才能ではあるけれど、ダイナミックマインドだって、人が持つ大切な才能だと信じたい。


まあ、自分がただ神経質なだけかもしれないけれど。