50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

ダイナミックマインド

自分の心が狭いからなのか、あるいは神経質過ぎるのか、わからないけれど、最近出会った少し迷惑な話と感じたこと。

世の中は少しずつ不感症になっている。

まずは、サッカーの試合を観に行った時のこと。指定席を取ったので試合開始前に競技場に着き、座席に向かう。自分の席の一つ斜め後ろに幼稚園年長くらいの男の子と父親の親子が座っていた。

ホームチームのファンのようで親子で観にきた様子。

サッカーの試合が近づき、始まると、応援の音楽が鳴り響く。手拍子を叩く人や掛け声をかける人など、人それぞれなのだけれど、その子供が音楽に合わせて前の(自分の横の)席の背中を蹴り始めた。

間接的にとは言え、振動が伝わってくるので迷惑だなと思いつつも、相手は子供だし、父親が注意するかなと気にしないでいたけれど、そのような素振りはなく、子供はきまぐれに座席を蹴り続ける。

その座席には幸い誰も座ってなかったこともその原因なのだろうけれど、それにしても、自分の行為のその先にあるものに対して想像力が働かないのだな、と。そして、父親も同様に。

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心理学に「ダイナミックタッチ」という用語があって、要は身体感覚の延長を指している用語。例えば、人は目をつぶっていても、その時に長い棒を渡されたとしたら、その長さをわかることができる。

想像力とはダイナミックタッチのようなものだと思っていて、それはあるいは「思いやり」といった概念に繋がるかもしれない。

自分の行為のその先を想像する力を「ダイナミックマインド」と呼んでも良いかもしれない。
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そんなことを考えたのは、今日の羽田行きの飛行機の中の出来事。

窓際の座席。

後ろの中年男性がテーブルを倒し、iPadを置いてどうやら音楽を聴いていたらしく、更にはひたすらテーブルを叩き続けていた。

多分、仕事で疲れた中(こちらだって疲れている)、音楽に合わせて叩いていたのだろうけれど、その振動がこちらにもひたひたと伝わってくる。

とても迷惑な話で、何で人はその先にあることに想像力が及ばないのかと。

ダイナミックタッチは人が生まれながらに持つ才能ではあるけれど、ダイナミックマインドだって、人が持つ大切な才能だと信じたい。


まあ、自分がただ神経質なだけかもしれないけれど。