50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

アートに痺れる体験、追憶。

 

ここ最近は世の中が芸術祭ブームということもあり、奈良の古都祝奈良を夜行-夜行で観に行ったり、電車に揺られてさいたまトリエンナーレに行ったり、瀬戸内国際芸術祭にようやく滑り込みで行ったりと、アートと向き合う機会が多かったのだけれど。


最近の芸術祭は、規模が大きいこともあり、著名な作家が多く参加していて、そういった作品は予算も多いので、もちろん作品の質も高い。


でも、本当に痺れる作品って本当に少ない。


そんな中で、久々に鳥肌が立った作品が、古都祝奈良のならまちアートの出展作品。

宮永愛子さんの作品「雫ーstory of the dropletsー」。

 

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染色屋をやっていた作業小屋の跡地。地面はむき出しになった地表が長年の作業によって踏み固められて、艶のある土色。そこにはかつて使われていたであろう道具類が静かに存在していて。

見上げると、一枚の大きな布が天井一杯に広がっている。

そこには様々な絵の具のような色が絵柄のように現れている。そして、地面に置かれた道具類を映したように、その輪郭が浮かび上がっている。

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作家は、手始めに、その大きな白い布を地面に多い被せた。
その時にそこにあった道具などを一度動かして。

そして、水滴を垂らすことで、長い長いこの工場の作業によって地面に撒かれた様々な染色の材料が、その白い布に付着していく。

もちろん、道具類が置いてあった場所には色はなく、布は白いまま。

その布が、天井に広がっている。

 

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様々な場所で、その場所特有のアート作品が作られているけれど、ここまで見事にその場所に封じ込められた時間と記憶を鮮明に浮かび上がらせた作品は、初めて。


サイトスペシフィックという言葉を使うには易いけれど、それを本当の意味で成し得ている作品って実は少ない。そこで過ごしてきた人と時間と思い、それらをすべて扱ってこそ、このような場所でアートが達成すべきことだし、それができないなら、ギャラリーで展示するしかないし。

 

この作品と対峙した瞬間、そこにかつていた人々と呼吸とか空気感が身体に押し寄せてきて、本当に身体の芯に衝撃が走った。


観た誰もが同じ感覚を抱いているかはわからないけれど、そういった感覚を感じるものが、まさにアートだなと、改めて思ったという、話。

 

投票しないこと、について。

結局、選挙に行かなかった。

理由を言うと、期日前に行くのが面倒でありつつ、結局、投票日当日に仕事だったために、間に合わなかったということで。

選挙に行かなかったのは久しぶりで、行かないということについては思うところもあって、それは一昔前に、知人と「選挙に行かないこと」の是非について話す機会があって。

選挙に行く理由をしっかり語れる人は少数派ではないかと思う。

むしろ、行かない人が大多数な状況において、その「行かないこと」について整理する必要があるのではないかと。投票率を上げるための呼びかけはあまり効果がないと思っていて、それよりは「行かないこと」がどういうことなのか(それはその個人にとっての意味付けではなく社会的な意味付けについて)をしっかりと認識することが必要ではないのかと。


今回、選挙に行かなかったことで、その仕事の帰りの新幹線で思いを巡らせてみた。


そもそも投票行動それ自体は個人の責任と判断の結果でしかないので、行かない理由をその個人に聞いたとしても、それは人によってそれぞれ異なるということでしかないのは明白。でも、ここで、その行動が社会においてはどのような意味を持つのか考えてみたい。


まず、投票することについて。
投票することを決めた人が実際に投票する際に、考えられる選択方法は二つ。

  • 一つ目は「賛同できる候補者あるいは政党がある」
  • 二つ目は「賛同できない候補者あるいは政党を消去法で消していく」

選択行動においては基本的にはいずれかの方法で選ぶことになるわけで。ただ、いずれの場合においても最終的にある候補者あるいは政党に投票した際には、それは社会的には「ある候補者あるいは政党に対する支持を表明する」行動として認識される。

ここが一つ目のポイント。

また、投票の際には白紙投票をするという選択肢もある。この場合は社会的には「どの候補者あるいは政党も支持しない」行動として認識される。

これが二つ目のポイント。

いずれの場合も、選択の理由は個人によって変わるかもしれないけれど、選挙の仕組みにおいて認識される結果は上記のいずれかになる。


さて、前述の知人との議論の際に、その知人は「行かないことによって自分の意思を表明する」と言っていた。そして、もし仮に、国民全員が投票に行かなければ、面白いことになるのではないかと。この「投票に行かない」ことがどのように社会で認識されるのか。これが問題で。行かないことがある種の批判的な行動であることを表明する人は多いとは思う。

でも、これって社会的には「いずれの政党あるいは候補者が当選しても、その政策を容認する」ということでしかない。例えば、投票率が25%だとして、「75%の人が投票にそもそも行っておらず、25%の中の半分くらいしか与党には投票していない。だから、国民の10%しか与党を支持していないんだ」みたいな思いを持っている人がいるかもしれないけれど、実際にはそうではなく、それは社会的には「国民の10%及び75%、すなわち85%の国民が与党の政策を支持あるいは容認している」というのが正しいわけで。

これって、すごく重要なことだと思う。

「何も変わらない」「関心がない」という理由で投票に行かない人は多いけれど、実は行かないこと自体も投票行動に含まれている、ということを認識する必要があるわけで。

そして、行かないことで、仮に気に入らない世の中になったことを人のせい(あるいは政府のせい)にする人が出てくるかもしれないけれど、それって完全に自分の責任でもあることを認識する必要がある。


だから、もし、すべての政党あるいは政治家が気に入らないのであれば、その時に選択すべき投票行動は「白紙投票」しかないと思う。仮に75%の人が白紙投票をしたら、上記の選挙結果は「与党は国民の10%の支持しか得ていない」ということになる。
こうなったら面白いと思う。本当に。


民主主義を否定する人はほとんどいないと思うけれど、その民主主義を貫く限りは、上記の投票行動の認識は持つべきだし、こういうことって投票の案内とかに記載した方が良いんじゃないの?

「仮に投票しない場合は、選挙結果を容認するという立場として解釈されます」みたいな。

政治なんて国民をいかに騙すかなんだから。

 

このクソッタレな世の中が1mmくらい良い方向に進んで欲しいと思うなら。


と思う。
まあ、投票に行かなかった自分が言うのも何ですが。
自民党なんてまったく支持していないけれど、結果について、文句は言えない。


拝。

 

 

ASA-CHANG&巡礼の、巡礼。

ある言葉があって、

同じ言葉でも、発する速度やアクセント、または時間、もしくは人が違えば、まったく異なった印象(あるいは意味)をもたらすことがある。

たった、一つや二つのフレーズだけでも、その一つ一つのフレーズを少しずらしたり、分解したり、あるいは繋ぎ合わせたり、そうやって自由に言葉を表現することがあっても良いと思う。


例えば、最果タヒの言葉はそう。


そして、そういえば、音楽でもそういった表現があって、それはASA-CHANG&巡礼という音楽で。

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*http://junray.com/profile/


『花』という2001年の曲があって、個人的には00年代の日本における最高峰の楽曲だと思っていて、今という時間に聴いても、初めて聞いた時の衝撃や昂揚感を思い出すことができて。

 

こんなに自由であることで、でも、考え抜かれた結果の自由であることで、その表現がこんなにも豊かになるんだなと。

 

ASA-CHANGの頭の中にあるイメージと、U-zhaanの超絶な技巧のタブラの音。
タブラという楽器がまさにそのイメージを具現化していて、その結果生み出された『花』『つぎねぷと言ってみた』。


ライブに何度も足を運んでは、その都度、文字通り、痺れた。


その後のメンバーチェンジのタイミングで、自分も日本を離れてしまったこともあり、遠ざかっていたけれど、最近になって『告白』という新しい編成による曲を聴いて、再度、その「痺れ」を感じた。

そして、先日、本当に10年振りにライブを観る機会があった。


タブラという楽器がないことで、どれだけのものが「損なわれてしまう」ものか、と少しの憂いがあったけれど、それは杞憂というもので、新しい、ASA-CHANG&巡礼が奏でる音楽は、また新しい表現、あるいは巡礼へと繋がっていた。

 

以前の編成時代の『影の無いヒト』という曲は、新しいアレンジで完全に昇華されていたし、そして、最近の曲である『告白』は、今という時代でしっかり輝いていて。


この日はOPEN REEL ENSEMBLE主催のイベントだったので、まだ、終演ではなかったものの、もう、そこであまりにも充実してしまった。

 

ASA-CHANG&巡礼の、巡礼。まだまだ。

 

拝。

 

 

2016年6月18日(土)曇り。大源太山へ登る。

 

今年は雪解けも早く、登山シーズン到来。

東京駅や越後湯沢駅で登山姿の方をしょっちゅう見かけるようになり、うずうずしてきたので、今年最初の山入りをキメてきました。

湯沢周辺はなかなか登山に関しては充実していて、少し足を延ばせば谷川岳などもあり、どこに行こうか悩む。調べてみると、山開きは大体6月下旬〜7月頭で、谷川岳のロープウェイなども、まだ運転していないので、山開き関係なく楽しめそうな山を探すことにする。

仕事の合間と、会議中にも、色々と探した結果、、

上越マッターホルン」の異名を持つ、大現太山に決める。

稜線歩きも充実しているし、沢渡りや鎖場などもあるらしく、なかなか面白そう。

帰りのセブンで飲み物と行動食等を買い求め、なんとかなるかと、あまり準備をせずに就寝。ところで、今回は地図は紙ではなく、アプリを使ったのだけれど、「YAMAP」が無料でそこそこ使えるマップもダウンロードできて、かなり良いです。今回のルート確認はこのアプリのおかげで何も問題もなくできました。


さてさて、4時の目覚ましで目が覚める。10分程「眠いので、やっぱりやめるか」という心の声と格闘し、4時20分に起床。山ウェアに着替えて、適当に荷物を詰め込み、車で出発。目指す大現太山の登山口までは1時間弱。途中のセブンイレブンで朝食にメロンパンを購入。

5:45頃に登山口に到着。狭い駐車場にはすでに2台の車が。長岡ナンバーと大宮ナンバー。もう出発している様子。早速メロンパンを食べながら、登山届を記入・投函し、ストレッチは面倒なのでパスして、5:55に出発。

f:id:houndedori:20160620222936j:image *写真:登山口

一眼レフは悩んだ結果置いていくことに。結果、装備としては

  • 水(500ml)x1
  • スポートドリンク(500ml)x1
  • ウィダーインゼリー x2
  • チョコレートバー x1
  • カップ麺 x1
  • おにぎり x1
  • バーナーとクッカー x1セット
  • トレッキングポール
  • 虫よけ
  • レインウェア
  • 携帯ライト

このような感じ。

大現太山までは3.5kmという表示。これが長いかどうかは行程の内容次第。無心で歩く。このコース、まずは沢を2カ所程横断するポイントが出てくる。水量はこの日はそこまで多くないものも、軽く靴ごとドボンと突入。もちろん、完全防水の登山靴は無傷。流石。

f:id:houndedori:20160620223003j:image *写真:沢渡り①

f:id:houndedori:20160620223024j:image *写真:沢渡り②

この沢を渡った後くらいから、一気に急な登攀へ。トレッキングポールの長さを調整しつつ、淡々と登る。先行者の姿も気配もまったく見えないし感じないので、完全に一人登山。熊鈴を持ってきていないので、熊だけは出ないようにと願いつつ、ひたすら登る。

しかし、この登攀がなかなか急で、なだらかになる気配もなく、かなりキツい。心拍数もかなり上がってしまい、早速「やっぱり帰ろうかな」という邪念もチラつく。「まずは稜線まで頑張ろう」という目標を持って、ひたすら登る。

1時間程登ると少しだけ視界が広がってくる。後ろの遠くには湯沢の市街地が点々のように見える。 

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思えば遠くに来たもんだ。

されど、視界は開けたもののガスっぽくもあり、大現太山は遠くになんとなく存在を感じるのみ。斜面もあまりなだらかになる気配もなく、ひたすら我慢の時間。スポートドリンクでこまかく給水と、一本目のウィダーを注入。頑張って歩く程に汗もかけば、汗のせいで、虫も寄ってくるし、不快感も上がる一方。何度か登っては下りて、登っては、、を繰り返すこと、また1時間。

今度はどうだ、と何か標識が上に見えてきた。そして、登ると「大現太山山頂」の文字!あっけなく、どうやら山頂に到達。しかし、周りはガスで見えず、虫は相変わらず。

f:id:houndedori:20160620223143j:image *写真:大源太山山頂!

そして、まだ、8時。

カップ麺を食べるには早すぎる。誰もいない山頂でカップ麺を食べるのもなんだなと思い、また、このあとの行程は、そこから七ッ小屋山から谷川岳方面に南下、そして分岐をシシゴヤノ頭を経由して、グルっと戻るコース。まだまだ先は長い。

というわけで軽く休憩して、すぐに出発。

ここからは気持ちの大分楽かと思っていたものの、いきなりかなり垂直に近い岩場を降下。緩んでいた気が一瞬で引き締まる。無事に降りたところで、七ッ小屋山方面を望む。

f:id:houndedori:20160620223200j:image *写真:四つん這いで下りました

と、実は大現太山より七ッ小屋山の方が標高は高く、ここからまた登りが続く。。ただ、稜線は風も気持ちよく、何よりも多少ガスっているとは言え、目の前に広がる景色を堪能。振り向けば、さっき登頂した大現太山の山頂はずっと向こうに。。 

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ここから、また淡々と歩く。と、向こうの方に人影が。どうやら先行して登っていた方?体力不足で苦労して登ったので、みんなはきっと速いんだろうなと思っていたけれど、実は登山口から大現太山の標準タイムは2:40。40分程早く着いたらしく、先行者に追いついたよう。ここまで来たら最後まで一人もいいな、と思っていたものの、やはり人影が見えると安心する。

その先行者には途中の休憩スポットで一度追いつく。2人いて、2人組?と思うも、どうやらそれぞれ単独行のよう。一人はソロで慣れていて、もう一人は仲間を見つけたいオーラを放っていました。ソロ慣れ男性が再開すると、もう一人も付いていくパターン。

自分はペースを乱されたくないので、しばし休憩して距離を開けることにする。

振り向けば、下りて、また登ってきた道がすいぶん長く見える。そして、マッターホルンの異名も持つ大現太山は、どうやらこちら方面から見て初めて、マッターホルンに見えるらしい。

このあたりで一本目のスポーツドリンクは終了。ただ、このペースなら残りの水でなんとかなりそう。ここからは、谷川岳方面との分岐まで、また小一時間。基本は稜線歩きなので気持ち良い!多少のアップダウンはありつつも軽快に歩を進める。途中、先行者の仲間見つけたいオーラのおじさんを抜かす。そして、そのまま分岐へ到着。ソロ慣れおじさんはどうやら谷川岳方面に行くらしい。

 

f:id:houndedori:20160620223235j:image *写真:稜線歩き、気持ち良い!

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自分はここからシシゴヤノ頭方面へ下りる。また単独行再開。

f:id:houndedori:20160620223314j:image *写真:分岐点

そういえば、この稜線で、逆の方から登ってくる登山者数名とトレランの男性1名とすれ違う。みんな、それぞれ良いペース。さて、シシゴヤノ頭はだいぶ先。そして、間違いなく、かなりのアップダウンが認められるコース。

覚悟する。そして、道がかなり悪い。あまり整備されておらず、かなり藪漕ぎに近い状態で進む。また1時間くらい。途中休憩がてら、何度も振り向いて、自分が歩いて来た道を振り返る。大現太山の山頂はいつの間にか遠く向こうに。人影も見えない。とにかく山々が大きい。自分の足で歩いて来たとはいえ、よくここまで歩いてきたもんだなと我ながら思う。 

f:id:houndedori:20160620223337j:image *写真:左奥に見えるのが大源太山。 

そして、山に登る理由を考える。

山に登ると、毎回のように、山に登る理由を実は考える。でも、特に理由はいつも思い浮かばない。正直、キツいし、一人は心細いし、まだフルマラソンを走る方が楽。でも、山は山で悪くない。とは思う。

そんなこんなで藪漕ぎ道を下りては登ってを3回で、ようやくシシゴヤノ頭。地図を見る限りは、ここからが下り一辺倒。水分補給とウィダーを追加注入(半分程)。尿意も感じてきたので、補給は適度な具合にする。でも、少し頭痛もしてきて、これは脱水症状の予兆なので、適度に飲む。

この時点で10:00頃。もうカップ麺は要らなそう。となるとバーナーもクッカーもいらなくなったわけで、かなり軽量化できたなと。むしろ、その分で一眼レフを持ってきたもよかったかなと。まあ、このあたりは自分の事前調査と準備が甘かったということで、次回への宿題とする。


そして、下山開始。登山というのは、実は下山が精神的にはかなりタフなもので、このあたりで自分の場合はほぼ確実に膝が悲鳴を上げるので(おそらくフォームが悪い)、トレッキングポールで負荷を分散させながら降りていく。また、下山の道というものは、頭でイメージしているものより、長いもので、下りても下りても登山口は見えてこない。熊にも怯えつつ、何回か登山客ともすれ違い、何か白いものが見えてきた、これは人工物か!?と期待するも、河原の白い岩肌。

でも、河原が見えてきたということは、だいぶ高度も下がってきた証拠。あとは怪我しないように歩くのみ。幸い熊は最後まで登場することもなく、ついに下山口が見えてくる。

f:id:houndedori:20160620223402j:image *写真:謙信ゆかりの道だそうで。

ちなみに、この下りて来たルートは「上杉謙信ゆかりのルート」らしいです。

下山口に出ると、とにかく車だらけ。駐車場は溢れていて(と言っても10数台しか入らない)、路肩にも何台も停まっていた。6:00スタートというのはかなり早かった模様。結局、5時間20分程で終了。参考タイムは8時間くらいなので、お昼休憩は取らなかったはいえ、かなり順調なタイム。

 

f:id:houndedori:20160620223421j:image *写真:満車!

流石に膝は痛い。

靴を履き替えて、軽く身体をほぐして、出発。

 

帰りはもちろん温泉で疲れを癒し、軽くご飯を食べて、帰宅。家というか宿舎に着いた瞬間にドッと訪れる疲労感。ベッドに倒れ込む。仕事なんてしたくない。

 

ともあれ、生きて帰ってこれて、良かった。大袈裟だけれども。

 

さて、次はどこの山を登ろうか。

 

拝。

 

 

ミラコスタとディズニーシー(とTIPSと)

 

完成されたエンターテイメントというのは、楽しかったり、面白かったりするけれど、それ以上に「気持ちの良い」もので、そのような意味で、ディズニーリゾートはとても好きで。

ここしばらく2年に一度くらいのペースで行ってます。
基本はシーで。大人だから。

さて、個人的には、ディズニーシーと言えば、BBB(ビッグバンドビート)なのだけれど、最近、演出が変わったらしく、クオリティは一層増したのは間違いないけれど、演出は前のバージョンの方が間違いなくよかった。

このBBBは、最後の方にミッキーがあっと驚く腕を披露するのだけれど、そこに至るまでの流れというものがあって、それが新しいバージョンでは途切れてしまった。とても残念。そのサプライズがあってこそのBBBだったのに。もちろんリピーターの満足度という点では新演出は大切なのだろうけれど、こういうのってむつかしい。


本題に戻って、今回は豪華にミラコスタに宿泊してからのディズニーシーでした。

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このミラコスタ、宿泊施設としても非常に良かったけれど、それ以上に、宿泊者特典というものがあって、それについて、あまり欲しい情報がネットで見つからなかったので、自分なりにまとめてみます。

  • モノレールが無料

舞浜駅についてミラコスタまではけっこう距離があります。
モノレールが走っていて、それが500円くらい。
これは少しもったいないなとinfoで歩くとどれくらいか聞くと30分くらいはかかると。

そこで逆に「宿泊の方ですか?」と聞かれ、そうだと答えると、どうやらチェックインの人には無料で2dayのモノレールパスがもらえるとのこと。駅すぐのinfoにはたくさんカウンターが並んでいて、事前チェックインもできるよう。そこで予約の確認をして、無事にモノレールパスを入手。このあたり、流石、ディズニーリゾート。

ディズニーシーの一部にもなっているミラコスタ
ホテル内からもディズニーシーの様子が覗けます。

そして、このレストランがポイント。

夜のショーの時間に合わせて予約を取っておくと、ホテルのテラスからショーを観ることができます。少し高いけれど席確保料も入っていると思えばお買い得かも。

今回はオチェーアノというレストランを予約。ちなみに、予約はビュッフェと、コースの2つがあり、それぞれ区画が分かれています。席は早い順で良い席が埋まってしまうけれど、ちゃんとショーの時間にはアナウンスがあってテラスが開放されるという段取り。

またビュッフェ席とコース席ではテラスも場所が異なります。どうやらビュッフェ席のテラスはかなり見切れるらしく場所の争奪戦が酷いらしい。なお、コース席の方は争奪戦に遅れてしまっても十分視界が確保できる場所はありそう。また、3段あって、真ん中の段が一番前の段と高低差があってオススメ。

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レストランの給仕もしっかりしていて、ショーの時間を計算して料理を一旦止めてくれるので、最後まで美味しく食べられます。料理自体もなかなかでした。

レストランから見る分にはチケットも要らないので、今回は初日にショーを制覇できたことで翌日はその分ゆっくり時間配分が出来てよかったです。(というか早めに帰宅した)

 

◆ハッピー15エントリー

そして、この特典が何よりも重要。
ディズニーリゾートのホテルに宿泊の人だけ、通常の開館時間より15分早く入れるという特典。

早朝から大勢の人が並んでいるディズニーリゾート。
この15分の差がどれくらい大きいことか。

ここで注意なのは、ミラコスタの場合は、ホテル内にもディズニーシーへの入口はあるけれど、朝のハッピー15エントリーについては、このエントランスではなく、外の通常のエントランスから入場になっているということ。

正確にはエントランスがたくさん並んでいる中の一番右のエントランスがこのアーリーエントリーの対象になっています。もちろん、ミラコスタの宿泊者だけでもかなりの人数になるので、わりと早く並ぶことをおすすめします。今回は8時一般開館(7:45に先行開館)だったので、7:00頃に並びました。その時点で50人くらいは並んでいました。

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  • ハッピー15エントリーの活用

さらに重要なのは7:45に先行入場しても、やっているアトラクションは2つしかないです。

   ①トイストーリーマニア ②タワーオフテラー

そして、99%の人は急ぎ足でトイストーリーマニアに向かいます。
ちなみに走ってはいけないことになっています。

また、ファストパスについては発券は8:00から開始。ということは、ここでまず「ファストパスなのかスタンバイ(並んで入る)のか」という選択肢が生まれます。

トイストーリーマニアは過去2回のディズニーシー体験の時は、いずれもファストパス発券も間に合わず乗れなかったという屈辱。今回は確実に乗る!ということでアトラクションに向かうこと5分。到着すると流石に先行入場しただけあってまだガラガラ。

迷わずスタンバイで入場。そして、ほとんどの状況においてスタンバイ入場が良いと思います。この時は待ち時間は2-3分。すぐに順番が回ってきました。むしろ、朝8時前にアトラクションに乗っている自分に、笑えてきたり。

さて、初めてのトイストーリーマニアは、正直なところ、まあまあ。親子で楽しめるし得点を競うアトラクションなので人気なのはよくわかる。ただ、物語性に乏しいし、アトラクションの最中もシューティングに集中してしまって、物語自体にあまり没入できない。あまりディズニーっぽくないアトラクションです。

 さて、おそくら外に出ると、一般入場の人が流れるようにやってきてるはず。そこで、今度はファストパス列に並ぶ。今回はそれで、9:40くらいの回のファストパスでした。もしかしたら、もう一回スタンバイ入場してからファストパスでもいけたかも。

ちなみに、今回はトイストーリーマニアの得点は158800点でした。検索すると攻略サイトもたくさんひっかかるけれど、そこまでやってもな、、というのが正直な感想。

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いずれにせよ、先行入場してトイストーリーマニアを早々に乗れたので、あとはのんびり楽しめました。

この日は結局、

と楽しんで、あとは船に乗ったり、列車に乗ったり。

ビッグバンドビートの抽選に外れたのが痛かった(何気にこの抽選でプランが大きく変わります)。あと、そういえば、個人的に好きだったストームライダーが終わってしまったのが残念。


夜のショーは観終わっているので、結局、19:00くらいのバスで帰宅。流石に朝の8時から遊んでいるので疲労感。地元に帰って、一気に夢の国から現実へ。

迷わず夕食は下世話にラーメン。

 

ごちそうさまでした。


拝。

 

 

形あるものにさえ、価格なんて、あってないようなものだという話。

 

アートとか、詩とか、形のないものに、価格なんて、あってないようなものだけれど、最近になって、そもそも形あるものにさえ、付いている価格に信憑性なんて無いなと思っていて、それが普段のちょっとした買物なんかにも広がっているなという話。

 
半年程前に購入したiPhoneのケースを、気持ち良いという理由だけで、外したり付けたりを繰り返していたら、合皮なのであっという間にボロボロになってしまい(こういう気持ち良さってあるけれど、何なんだろう、正に、無駄に気持ち良い)、買い替えようかなと、適当に画像検索していたら、気に入る商品を発見してクリックしてみたら、それはヤフオクのページだった(ところで、新しいヤフオクのロゴとあの黄色って狙い過ぎだと思う)。
 
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価格を見ていたら割と入札件数も多くて、最終的には3500円くらいで落ち着きそうだったその商品は、即決価格が5000円台に設定されていて、その価格で買う人もいるんだろうなと思って眺めていたのだけれど、出品者はどうやらどこかの業者のようで、これはと思って試しにその業者の名前で検索をかけてみた。
 
そうすると、検索にあっさりと引っかかってきたのは、他のマーケットサイトのページで、そこのストアにヤフオクで出品されていた物と同じ商品も販売されていて、その価格はそのサイトを見た時点で確認されていたヤフオクの入札価格を下回る価格だったわけで、在庫が残り一つだということもあり、そのままクリックして購入してみた。
 
そのサイトもヤフオクやメルカリのように、ユーザページ上で出品者と支払いや発送のステータスの確認や、メッセージのやり取りができるようになっていて、早速出品者から届いたメッセージはとても丁寧で、取り引きは終始スムーズで、数日後に無事に商品も到着。
 
終わってみて、改めてヤフオクのページを覗いてみたら、落札金額は自分の購入価格+1000円。そこにあるのは、少しだけ立ち止まって、数分かけて調べてみるだけの違いなのだけれど、たったそれだけで1000円も支払う金額が変わるというのは、ちょっとした驚きで、改めて情報というのはお金とイコールだし、定価というものは何も保証していないのだなと思ったわけで。
 
 
試しに「定価」という単語を大辞林で引いてみると、そこには『商品の、決まっている値段』と書いてある。でも、もはや、決まっている値段なんてないように思う。それは、Amazon価格.comで買物をしていれば、明白な事実。
 
今の時代においては、「定価」という言葉が意味するのは『その商品が、今すぐに手に入ることを保証する値段』と言った方が正しいような気がする。
 
例えば、もう一つの話。Amazonでの買物。
 
最近、Kindleを買ったのと、Microsoft OfficeMac版を購入したのだけれど(本当はどちらも個別にエントリしたいと思っている)、その購入というのも「定価」との睨み合いだった。
 
Amazonは基本的に定期的に何らかのキャンペーンをやっていて、Kindleについてはプライム会員価格があるので十分に安いのだけれど、それでも何かキャンペーンをそのうちやるだろうなと思っていたら、案の定、3月の末日の2日間だけ(だったか知らん)更に2,000円程の割引キャンペーンを開催していて、それで最終的に購入。いわゆる、通常価格からは6,000円くらいは安く買えたわけで、これは一つの情報による買物だとも思う。
 
また、Mac Office版についても、同様に数日限定での割引をやっていて、そのタイミングで購入。どちらも急ぎで必要なものでは決してないので、こうやって買物をすることが結果的には一番得する選択。
 
ヤフオクの件とは違って、Amazonの場合は「そのうち更にキャンペーンが乗っかってくるだろう」という予想も入っているので、純粋な情報とは言えないけれど、それでも過去の実績を調べていけば、比較的簡単に手にすることができる情報で、その結果、この2製品だけでも、何も考えずに買物するより、それなりに安くなってしまうので、その商品の「定価」について考えることは大切だなと。
 
むしろ、これまで物理的なショップだけで行っていた買物においては「定価」は意味があったかもしれないけれど、オンラインがメインになってくると、そうともいかない。当然、ヤフオクやメルカリで中古を探すという選択肢も入ってくるし、物を一つ手に入れるだけでも、考えることもたくさん。もちろん、考えたくなければ、何も考えずに「定価」で買えば良い。
 
もちろん、誰しもが同じ物は必ず同じ価格で買う世界の方が、みんな幸せのような気もするけれど、もはやそのような世界を期待することはできないし、一方で、しっかりと物の価値を推し量るきっかけになるような気もするし、実は良いのかもしれない。
 
と思いながら、メルカリやヤフオクにまんまとハマっているわけです。
 
 
拝。