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50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

目【Mé】について

アート 批評

芸術祭といったイベントが文字通りに乱立して、アート作品が文字通り、雨後の竹林のように、この世に形を成していって、それはSNS全盛期の今にぴったりじゃないかなんて。

気にも留めることのないつぶやきのように、一瞥しただけでその場を立ち去ってしまうようなアートも数えきれなくて、もはやその場にいる必要があるのか?と考えてもしまうわけで。

まあ、控えめに言って「5秒後には忘れてしまう」ような作品が大半で、やれ、景色が良かったとか、ご飯が美味しかったとか、お金と時間と労力をかけた自分の人生を美化するように、それ以外の想い出で固めるのが、昨今の流行りのよう。


基本的には作家性なんてどうでもよくて、その作品によって生まれる何かに価値があるのかどうかだけだと思っていて、それでも、本当に見るべき作家というのがいるという奇跡。


アートユニット「目【Mé】」の作品は、何でこんなにも圧倒的なのか。


インスタレーションという風に簡単に括ってしまうことはできるけれど、それは、なんというか、それは、どちらかというと「エンターテイメント」に近い。


そこにいる、ことで初めて生まれる感覚。


そして、その感覚が、もう別の次元に身体が飛んでしまったかのような、それは「目【Mé】」が標榜している「日常生活に突如立ち現れる非日常空間」という言葉がまさにそう。


そこには作品があるけれど、そこには、別の世界が広がっていて、

そして、「in Beppu」での『奥行きの近く』

 

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たぶん、この世界は一つしかないはずなのに、作品を訪れる度に、別の世界に飛ばされていってしまうなんて、それを毎回のように、この現実世界に現実化させるなんて、凄い、本当に。


書いていて、涙が出そうになるくらい。


「写真撮影禁止」といつも謳ってはいるけれど、そもそも、そこに広がっている世界を写真に写すことなんて不可能なんだし。

でも、体験した人同士には、そのどこかの世界について語り合うことができる。


作品を観終わった後に、作家について語ったり、その造形を語ったり、そんなことはどうでもよくて、そこにあった世界について語ることがしたいわけで。


そうじゃないとアートなんて観る必要なんてないわけで。


もう、「目【Mé】」の作品が、この現実世界のスタンダードになって欲しいです。


越後妻有の、かつて、別世界がその中に広がっていた、古いコインランドリーの前を通る度に、そう思います。


拝。