読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

戦争と想像力 / ドキドキぼーいず#06『じゅんすいなカタチ』

舞台 批評

 

戦争なんて遠い国での出来事のようにしか感じないし。でも、見上げた先に広がる空は、その国に繋がっていることも知っている。そんなことを想った、今日。

 
せんがわ劇場にて、どきどきボーイズ『じゅんすいなカタチ』を観劇。

 

http://www.sengawa-gekijo.jp/_event/15197/image1L.jpg  http://www.sengawa-gekijo.jp/_event/15197/image2L.jpg

 
村上春樹の言うように、フィクションは時には事実以上に真実を剥き出しにすることを可能にするとして、時に、演劇の力とは何かと聞かれれば、それは「人間に想像する力を与える」ことだと思う。ヴァーチャルではなく事実として、地に足の付いた想像力。それを自覚的に作品に落とすのは、若い世代ならではかもしれない。
 
もはや、終わらない日常は今でも続いていて、無自覚に毎日を生きることは簡単で、「いつか自分も死んでしまう」という事実さえ忘れそうになってしまうけれど、当たり前のように人は生まれては、死ぬ。
 
--
舞台は少し古くなった一軒家と、そこに残された父親と娘。父親は5年前に失踪し、その間に母親は亡くなる。また、その後、息子も自殺し、この世を去っている。世の中は戦争が激しくなり、日本もその戦争への加担を強めている。
例えば、死んでしまった息子もまた兵器の製造に間接的に仕事で関わっていた。その先にあるはずの「戦争」は遠いところの話ではあるけれど、「母親の死」という身近な出来事(それはある意味では戦争でもある)を通して、「死ぬ」「殺す」「殺される」ということが実態として語られていく。
--
 
今、日本において「戦争反対」を叫ぶことはとても空虚なことで、その言葉の裏には「自分は死にたくない」という気持ちしかない。叫ぶその瞬間にどこかで人は死んでいるのに、その戦争自体に本当に反対して何かを行動できている人はほとんどいないわけで。その真実を見て見ぬふりをして、デモに参加したり、アジテーションを叫ぶ人はいったい何をしたいのだろう。
 
きっと、そこには「死ぬこと」へのリアリティが圧倒的に欠如していて、本当は、まず始めにすべきことは「『死』に対するリアリティ」を持つことだと思う。それは身近な人の死かもしれないし、あるいは自分の死かもしれない。少なくとも、どこかで死んでいるはずの誰かに対してリアリティを持つことなんて不可能なのだから。
 
この『じゅんすいなカタチ』という作品は、その身近な死を語ることで、今の若い世代が置かれている状況を物語っている。そう、まず必要なのは自分もまた死ぬという事実についての自覚。それを認めた上で行動するしかない。
 
『戦争反対』ではなく、『自分は人を殺したくないし、殺されたくもない』という言葉。生ぬるいかもしれないけれど、本当の言葉を語るべきだし、それはこの日本だからこそ言えることのようにも思う。無自覚な言葉、行動ほど怖いものはないし、それを止める「想像力」こそが、演劇という表現が実現する純粋なカタチ。
 
今時、舞台表現なんて、本当の一部の人間しか観ないかもしれないけれど、舞台表現でしか成しえないことは間違いなくあって、それを再認識することができた本作品。
 
 
帰り道、知らない街で進む方向を間違って、真っ暗な路地裏に迷い込んでしまった。一寸先は闇。
 

公演は本日より3/13まで。

 
 
拝。
 

アクセス数経過報告 / 2月

 恒例に、2月のアクセス数報告。

f:id:houndedori:20160303000342p:plain

1月に比べて、記事数も増えてきたので、伸び率は高くなっている気がする。そして、そこそこ伸びる記事が出来ている様子。

 

メリハリが効いていて、なんとも言えない...

 

タイムリーなことを取り上げたこともあり、下記の二つのエントリが人気のよう。

エントリによる反応に随分と差も出てきて、なかなか興味深いです。

 

 

拝。

 

 

10年前の夜は何をしていたっけ - マームとジプシー 『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』-

舞台 批評

 マームとジプシーの公演について。

http://mum-gypsy.com/wp-mum/wp-content/uploads/2014/06/K6.jpg

マームとジプシー
『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』
作・演出:藤田貴大
出演:石井亮介、尾野島慎太朗、川崎ゆり子、斎藤章子、中島広隆、成田亜佑美、波佐谷聡、長谷川洋子、船津健太、吉田聡

2016年2月18日(木)〜28日(日)/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール

公演によって当たり外れが激しいでお馴染みのマームとジプシー(個人の経験上)。今回は過去の作品を再構成して三部作として上演。実績のある過去作品、そして『Kと真夜中のほとりで』は代表作ということもあり、素晴らしい公演でした。

10年前のとある夜に消えてしまった女の子の不在(そして死)が、その兄や友人との関係性を通して描かれていく。作・演出の藤田さんの得意とする場面・会話のリフレインが、過去を巧妙に描き出していて、その不在がとても心に染みた。そう、繰り返される過去において、夜にさよならはできないし、夜が明けることはない。いつか朝は来るというのに。

劇中にとても印象的なフレーズがあって、

「この街を出ていくってことは、死ぬこととどう違うのだろう?」

というもの。

このフレーズが10年前に消えてしまった女の子の不在と重なって、心の中で何か引っかかった。この街に留まる人間にとっては、確かに、この街において不在であることは、死ぬことと変わらないのかもしれない。空を見上げれば、遠くに離れていたとしても、同じ空の下にいるって感じられるのにね。

「死」というテーマは多くの表現で扱われてきたテーマではあるけれど、「不在」という概念と重なり合わせることで、その差異を表出させ、改めて「死(あるいは不在)」を問うというやり方は、その演出とも相まって、とても効果的な表現に昇華されていた。

また、誰もが分かっているように、人は自分が死なない限り「死」を知ることはできない。語ることが可能なのは、自分がどう死と向き合っているかということ。

2時間弱の公演で描かれるのは、その消えてしまった女の子との思い出。登場人物はそれぞれの思い出の中での女の子との関係性、そして10年後の今、自分がその女の子の不在とどう向き合っているかを語る。繰り返される場面においても、その度に登場人物はわずかながら違う表情を見せる。その結果、その向き合い方は重層的に深くなっていく。

それぞれの関係性はもちろんすべてが異なるわけで、結果的にそれらの差異を見ることで、「死(不在)」がどのようなものなのか、より深く見る・考えることができる。本当に観に行って良かったと思える作品。

 

マームとジプシーは今日の舞台表現の世界において、間違いなく最重要な表現のうちの一つではあるけれど、この時代においてはテキスト自体が持つ表現の限界はより狭くなってきているようにも思う。単純な言葉で説明できないことが、世の中を見ていても溢れかえっているし。

更に一つ言うならば、このリフレインを多用した重層的な表現こそが、マームとジプシーの真髄だし、作・演出の藤田さんは、やっぱり演出家なのだろうと思う。

逆に、そう言った意味では以前、VACANTで観た『カタチノチガウ』は駄作と言わざるを得なかった。物語に比重を置いていた作品で演出もシンプルだったのだけれど、テキストの力だけではどうしようもないところがあって、とても残念だった記憶が蘇る。(青柳さんが体調不良で絶不調だったということもあるけれど)

 

でも、改めて、今回の公演は本当に良かった。一人で冷たい風にあたりながら駅へ向かう途中、色々と考えてしまった。

 

次は新しくオープンする空間で公演があるみたいだし、これも行きたいな。

 

拝。

 

 

 

 

美術館での写真撮影と『スーパーフラット・コレクション』

アート 批評

森美術館での大規模個展より面白いと評判の、村上隆のコレクション展。

f:id:houndedori:20150818191512j:plain

村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―

 

もう、この写真だけで観に行ってきた気がします。

ある意味では「何でもあり」の膨大のコレクションに『スーパーフラット』という名前が付いていることが、とても興味深い。集められた作品の多くは、まったくもって『スーパーフラット』ではないのだけれど、それらを集めた村上隆の視点と思想に通底しているのは『スーパーフラット』な概念であるし、それらの作品群を一枚のフラットな面に並べられたモノとして見ると、それは一つの狂喜乱舞の世界として目前に現れるし、それはそれで面白かった。と言っても正味30分程度の鑑賞で会場を去ったけれど。

展示を観に行った日は朝からMOTで『東京アートミーティングⅥ "TOKYO"見えない都市を見せる』、『オノヨーコ | 私の窓から』と常設展、その後にSCAI THE BATHHOUSEにてダレン・アーモンドを観てから、一路みなとみらいへ。少しくらい疲れた状態で軽く観るくらいでちょうど良い展示のような気もする。

アート作品というものは、基本的には1対1で向き合った時に生まれる、作品と鑑賞者の関係性において価値あるいは意味が生まれるので、今回の展示は一つ一つの作品をじっくり見てもしょうがないとも言えるし、そこにごった返す人の群れ、その全体性が作り出す形あるいは虚像を見定めることが、この展示会に来る意義かもしれない。なんてことを考えなら散歩の気分で会場を歩く。

中には懐かしい作品もあれば、コレクションに入っているのが意外な作品もあり、なかなか興味深かった。そして、観終わって思うのは、『アートなんてものはやっぱり虚像だなぁ』と。まあ、だからこそ好きなわけだけれど。形あるモノなんて。網膜に映る2次元よりも、脳内で再構築される虚像の三次元にこそ興味がある。

 

 

ところで、会場でふと気になったのが、会場でひたすら無思考に撮影しているのはおじさんの姿だった。 

彼は、ほぼ『記念撮影』レベルでかなり適当に撮影していたのだけれど、会場は撮影禁止ではなかったはずなので、特に問題もないのだけれど、なんだか「その撮影された写真、及びあなたの撮影するという行為にはまったく意味はないよね?」と思って。

前述の通り、アート作品は対面することでしか、本当の意味で『体験』はできないわけで、たとえ写真で見ても本質的にその作品を理解することには繋がらない。一般論として。その中で、ほとんど作品とまともに向き合うこともせずに写真だけを撮るおじさんが、とても興味深かった。

 

彼は家に帰ってその写真を見て、なんと言うのだろう。

村上隆の見てきたよ、すごかった」とでも言うのだろうか。その「すごい」って何だろう。 

でも、もしかしたら、このコレクションの感想としては、そんな言葉で十分かもしれない。確かに、その集める労力は少なくとも凄いと言わざるを得ない。

そう、そうやって空虚な撮影をすることもまた一興かもしれない。現代アートの展示会は、前述の意味で、写真撮影がOKのところが多いけれど、今やたとえ、これが古典絵画の展示会だとしても、スマホで撮影する人は止められないし、その空虚な撮影された写真によって世界がどう変わっていくのか見てみたい気もする。

 

昔、映像関係の新規事業の調査をしていた時、高解像度の道をひたすら歩むディスプレイについて、マチュピチュが映る画面を見ながら、「もう旅行する意味なんてない時代が来るよね」とドヤ顔で語っていたおじさんがいたけれど、なんて頭の悪い人なんだろうって思った記憶が蘇る。じゃあ、目が見えなかったら死ぬしかないね。

無思考に生きるって怖い。ある意味では、それが日本人の「スーパーフラット」なメンタリティ。に幸あれ。

 

拝。

トラックボールマウス "Logicool M570t" を買ってみた。

買物

マウスというものは、不思議なもので、その使用頻度の高さは圧倒的で、こんなに手で持っている時間が長いモノもなかなかない。

故に、実用品としての側面が強すぎるプロダクトだと思う。

そして、エルゴノミックにデザインが定義されているので、スタイリングを優先したマウスというのもなかなかない。あったとしても、それは場合によっては機能性を犠牲にしていることも多く、かと言って、表面的に装飾に凝ったマウスというのも、あまり見かけない。


つまり、何が言いたいかというと、「マウスについて語るなんて野暮だよね」ってことで。


個人的にも、昔使っていたiMac純製のマウスが調子悪くなってからは、家のどこかに眠っていたLenovoのマウスをずっと使っていた。このマウス、いわゆる普通のマウスなので、特に可も不可もなかったのだけれど、MacbookProの隣に置くには、それこそ「野暮」だなと思いはじめ、これは買い換えようと、いつの頃からか気になっていた、「トラックボールマウス」を今回使ってみることにしてみた。

トラックボールマウスというのは、マウスの表に大きなトラックボールが付いていて、ポインターの移動操作をマウス自体を動かすのではなく、そのトラックボールを動かすことで操作するというもの。つまり、マウス自体を動かす必要がなくて、手の負担も少なくてすむらしい。

慣れると止めれれないという噂もちらほら。


さて、色々と調べると、どうやら、LogicoolのM570というのが定番で、その対抗馬としてElecomからもライバル商品が出ているらしい。

個人的にはスタイリング的にも後者の方が好みだけれど、Amazonのレビュー等を見るに、Elecom製は肝心のトラックボールの質がイマイチらしい。

やはりマウスは機能性重視。値段も前者の方が若干安いし、今回はLogicoolのm570を購入することに。

購入にあたっては、例によって、メルカリとヤフオクを入念にチェックするも、最終的にはAmazonで購入。こういった消耗品寄りの機器は新品に限る。ちなみに、メルカリを見ると、「手に合わなかったので出品」というのが散見されていて、割と人を選ぶマウスのよう。これは楽しみ。


プライム会員なので、夜注文して、翌日には到着。

f:id:houndedori:20160207194825j:plainf:id:houndedori:20160207194654j:plain


まずは、開封、といっても、レシーバーとマウス本体を取り出して、電池をセットするのみ。レシーバーをUSBポートに指し、マウスのスイッチONで、すぐに認識。

マウス自体はトラックボールが表に配置されている分、けっこう大きい。サイズも海外サイズ。自分は比較的手が大きい方だからよいけれど、これは女性だと厳しいかも。最初は慣れないものの、webサーフィンすること数十分で、だいぶ慣れてきた。

f:id:houndedori:20160207204302j:plain

MPBと並べるとこのような具合。

 

使ってみた感想としては…

  • マウス本体の移動がないのは快適(机も傷つかないし、マウスパッドも不要)
  • ドラッグドロップ操作が快適(あの、上げて下げて、が不要)
  • 親指が疲れるかなと思っていたけれど、まったく疲れない
  • 机の上のマウスの位置が姿勢に合わせられて快適(腕を机の上に楽に置けて操作ができる)

というところで、かなり快適。

ついでに言うと、このLogicoolのマウスは、クリックボタンの横に、小さなボタンが2つ配置されていて、デフォルトではWEBブラウジングの「戻る」「進む」が割り当てられていて、これも嬉しい。そっちの方がまだ慣れないけれど、他にもカスタマイズで機能割り当ても可能で、よいかもしれない。

しばらく使ったら、また追加レビュー報告したいと思います。

 

今回は、マウスに加えて、ついでにクリーニングクロスも購入。ノートPCを使っていると、キーボードの汚れが画面に跡になって残ることがあって、それがいやで、ちょうど良さげなこの商品を発見。

 

f:id:houndedori:20160207194455j:plain

本当は黒色が良かったけれど、この色しかないみたい。。。MacbookPro 13"に置いてみると、こんな感じ。ぴったり。ということで満足の買い物。

  

  

  

今回は買物エントリでした。


拝。

 

アクセス数経過報告 / 1月

もう2月に入ったというところで、折角なので、1月のアクセス数の推移を記録しておきます。

f:id:houndedori:20160207215356p:plain

ブログの更新が

  • 1/5
  • 1/12
  • 1/20
  • 1/26

となっていて、当然の事ながら、更新日とその翌日あたりが伸びている。

あと、全体的に徐々に増加傾向にあるのだけれど、投稿の蓄積数に比例しているということで、継続してやっていけば、それなりに伸びていきそう。

ちなみに、圧倒的にアクセスが多いのは、12月に投稿したこちらのエントリー。

やっぱり買物関係は強いのか知らん。

 

というわけで、今後は定例報告したいと思います。 

 

拝。

 

でんぱ組Inc. について、真剣に考えてみた。

音楽 批評

時代の流れと関係なく、今更ながら、でんぱ組 Inc. を集中して聴いてます。

f:id:houndedori:20160202225758j:plain

正確には、アルバム「WORLD WIDE DEMPA」は、だいぶ前からiPhoneのライブラリには入っていたのだけれど、少し聴いてみて、なんというか「とっつきにくい」というのが、第一の感想で、なんとなくあまり聴かないでいました。

でも、ここにきて、昨年末にMVA ETAの日本代表に選ばれたというニュースもあり、

改めて本腰を入れて聴いてみると、これが、とても良い。他のアイドルとは明確に立ち位置が違くて、これはなかなか興味深いなと思い、

 

でんぱ組Inc.について、真剣に考えてみた。

 

とっかかりとして、まずは、「アイドル」を整理してみる。従来のアイドルは、テレビをメインの場として、基本的にはテレビ越しにたくさんの「ファン」をかかえていました。  

f:id:houndedori:20160202070441p:plain

このテレビという一線を超えてきたのが、近年のアイドルなわけで、その象徴とも言えるのが秋葉原という場所。その秋葉原を聖地とするアイドル文化としては、AKB48ハロプロももクロ、あたりが代表的かと思います。

まずは、このあたりのグループがどうやって、ファンを、そして「オタク」を獲得しようとしているか。それは、簡単に言うと「どうやってファンとの距離を近づけるか」に尽きるわけで。

f:id:houndedori:20160202070453p:plain

シンプルな方法としては、コンサートを開くこと。その発展として、握手会があり、あるいは専用劇場のオープンなどが挙げられます。各グループはある意味では競い合うように、それぞれのファン(オタク)との距離を近づけようとしました。それはステージに出ることで、テレビという一線を超えた、とも言える。

 

そうやって、しのぎを削りあったアイドルグループですが、ここで出た大技が、いわずと知れたAKB48選抜総選挙。それまでアイドルが必死にオタクに近づこうとしていたところ、そのオタクを有権者にすることで、自分のステージに上げてしまった。

f:id:houndedori:20160202071659p:plain

今の状況は、AKB48の一人勝ち状態ですね。

まあ、それはどうでもよいとして、いずれにせよ、このあたりのグループはリアルな等身大としてのアイドルとして、ファンに向き合っているという意味では共通です。


そこで、一つ、対照的な存在が、Perume。(でんぱ組 Inc.の話はもうちょっと先で。。)

Perfumeが少し違うのはターゲットが完全にオタク層でないこと。そして、戦略的にリアルな存在というよりもヴァーチャルな存在として打ち出してます。アルバムジャケットや、PVや、ライブの演出を見ても、CGや最新の技術を駆使してますね。もちろん、コンサートなどは開くので、アイドルとしての存在はありつつも、よりPOPミュージック、芸能人としても存在に近いと言えます。等身大の姿をさらけ出さないことで、逆に、他のグループときれいに差別化が図れています。

 

f:id:houndedori:20160202071942p:plain

そのメリットは、、

  • ターゲットを広範にできる(オタク層だけのものではない)
  • 等身大ではなく、手が届かない憧れの存在になる
  • 例えば「秋葉原」といったような地域性を解消する(結果、Perfumeは海外での評価も非常に高い)

こんなところ


あと、とても大事なことは、PerfumeのPV(そして振り付け)はかなり意図的に、「狭い空間の中で成立する」ものになっているということ。AKB48のようにステージ上を走り回るわけでもなく、あるいはももクロのように飛び跳ねるわけでもない。

PVの画面越しに見えるこの狭い空間は、すなわち、視聴者のお茶の間だったり、個人の部屋であるわけで、その結果、Perfumeに関しては「踊ってみた動画」がたくさんupされてます。要は、モノマネして、自分もPerfumeになり切りたい、と思わせてもくれる。

また、ハロプロ、AKB、ももクロあたりのグループのファンは圧倒的に男性が多いですが、Perfumeは女性のファンも多く、年齢層も幅広い。ここも、Perfumeが他のアイドルグループとは大きく違う点(コンサートに行った時は、若干女性の方が多かったような)。

 

Perfumeの分析だけでも十分に面白いのだけれど、さて、ようやくでんぱ組Inc.の話に入ります。

 

前述の秋葉原系アイドルグループの特徴は、オタク層に向けてのベクトルを出して、それで競争していること。つまり、彼女たちは、オタク層と別のところに立っているわけで、彼女達自身が「オタク」ではない。


それに対して、でんぱ組Inc.の特徴は、

彼女達もまた「オタク」であること。むしろ、かなりコアなオタクなわけで。


図で書くと、こんな感じ。

f:id:houndedori:20160202072005p:plain

オタク文化の中の再帰的な存在として、自らを位置付けている。
ある意味では、自分たちの居場所を作りたいから「でんぱ組Inc.」をやっているとも言える。実際のところ、でんぱ組Inc.の歌詞にはそのような内容が多くて、最上もが、がオタクとして生きる自分が生き延びるためにアイドルをやった、というのもうなずける話。

これは、かなり面白いやり方なのだけれど、反対に、冒頭で書いた「なんかとっつきにくい」という感覚もまた、これに起因しるところがポイント。

この再帰的なやり方は、外に対しては閉鎖的になってしまうことになる。結果、オタク以外の一般層からは、距離感があり、なんだかよくわらかない存在になる。でも、いったんコンテキストさえ頭に入れてしまえば、かなり良いですね、でんぱ組Inc.。

 

さてさて、もう一つ、でんぱ組Inc.が面白いところは、かなり真剣に「世界」を見ていること。曲の中にも「世界」という言葉は良く出てくるし、このアルバムの名前もまた「WORLD WIDE DEMPA」。この志向と、立ち位置は、実は符号していて、冒頭で、MVA ETAの日本代表にでんぱ組Inc.が選ばれたというニュースを紹介しましたが、このアワードの日本代表に選ばれたのも実は納得。

f:id:houndedori:20160202072024p:plain

このイベントは日本文化の象徴でもある「OTAKU」文化を紹介したいわけで、それは他のアイドルでは無理で、仮にAKBを紹介しても、それはオタクを生み出しているアイドルを紹介しただけで、その対岸にいるオタク層・オタク文化については触れられていない。

一方で、オタクそのものである、でんぱ組Inc.。「世界」に実は一番近いのがでんぱ組Inc.だったというのは、当然とも言えます。何も知らないと、唾棄してしまうようなニュースかもしれないけれど、真剣に考えてみると非常に面白い。

 

というわけで、いくつかのアイドルグループを比べてみると、レヴィ・ストロース先生よろしく、かなり面白い構造が浮かび上がってきました。本当はここから、構造主義に始まり、ソシュール記号論、果てはジャック・デリダまで説明したいとことですが、今回はここまで。


拝。