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50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

ピープル・ピープ、探訪記。(2)

年始の札幌訪問と言えば、恒例の巡礼。

今年もピープル・ピープに行ってきました。なかなかに衝撃的な展開&新事実発覚ということで駄文を認めます。

 

*昨年の訪問記録もとい探訪記。

 

今年の訪問は1月26日の木曜日。昨年は1月23日の土曜日。今回は平日ということで、どんなものかとお店へ歩みを進める。その前に食事をしていたこともあり、開店時間には間に合わず、お店に着いたのは20:40頃...

 

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*相変わらずの佇まい。

ドアの看板や掲示の紙の角度までほとんど去年と同じ(笑)。

ピープル・ピープ、言うまでもなく知る人ぞ知る有名店。行列は当たり前。しかも、待ち時間は1時間〜2時間になることも。そして、とても変わったマスターが一人で切り盛りしていて、入るなり「待てる?待てないなら帰った方が良いよ!」と愛情のこもった罵声を浴びせかけてくれます。

今回もドアを開けるや否や大勢の待ち人が... とそろりとお店に入ると...

 

...

 

誰もいない!?

 

なんと、お客さんが誰もいない。信じられない。何かあったのか。

そして、いつものマスターとの対峙を今かと待っていると...

 

誰もいない!?(マスターも)

 

お店にどうやら誰もいない様子。これは事件か?と耳を澄ます。本当に誰もいない様子。少し中に入っていき、地下の席を確認。誰もいない。そして、レジの奥、調理場の入り口を少し覗くも誰もいない。これはどうしたものか... と困っていた瞬間。チリーンというドアの鐘の音と共にマスターが登場。

「あ、ごめーん」

「好きな席に座っていいよ!」

「下でもいいよ!」

といつもの調子でピープル・ピープを実感する。どうやら、誰もいないことを良いことに買い出しにでも行っていたのだろうか。呆気に取られてほとんど会話もできず..

さて、誰もいないと言いつつも、選びたい放題と言いつつも、席を一通り眺めるも、実はピープル・ピープ、一等席というものがまったくと言ってよいほど、ない。むしろ、快適な席というものが、ほぼ、ない。その中で一番良いと思われる席が、地下に降りて左手の丸テーブルの席。ここに着席。

 

数分すると、マスターがメニューを持ってやってくる。「初めて?」違うと答えると、「じゃ」と颯爽と去っていく。いきなり取り残される。そして、本来ならメニューと一緒にやってくる水もやってこない。やはり何かが違う。

 

5分ほどメニューを検討。昨年と同じ時期の訪問なので、オススメはやはり「ストロベリーパフェ」。今回はストロベリーパフェと、胡麻パフェにする。5分程するとマスターが降りてくる。サクッとメニューを伝えて、さて、これから始まる長い待ち時間に備える。メニュー回収と入れ替わりに、注意事項が書かれた紙が置かれる。ここには数字が書いてあり、これが注文番号と連動している様子。

 

これまでの経験上、昨年の1回転目のグループだと、40分ほどでパフェが出てくる算段。今回もそんなところだろう、と店内の張り紙をじっくり観察したりする。客は誰もやって来ない。平日は意外と暇なのか。まあ、寒いし(氷点下)、パフェなんて食べたい人間はそんなにいないか。

 

張り紙は昨年とさほど変わらず。撮影禁止の張り紙や、昨年もあった「鳥インフルエンザの注意勧告」(咳をする人は入店禁止らしい)。

 

一点変わったと言えば、英語の注意書きが増えた?注文番号の紙の注意書きにも日本語で時間がかかること、砂糖不使用のため一般的なパフェに比べて甘くないことなどが書いてあるが、その裏には英語で、

 

It takes time now

Can you wait more than one hour?

The ice cream of this shop is not sweet

Still are you all right?

<マスター調の訳>

時間かかるよ!1時間以上かかるけど待てる?!

うちのパフェは甘くないよ それでも大丈夫?!

 

という強烈な訓示。Stillの使い方がすごく良いです。

 

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*どうしても記録したくて撮影させて頂きました。

 

というわけで、誰もいないピープル・ピープを独り占めできる幸せを噛みしめること約5分。厨房の方からマスターの歩く音!?こちらに降りてくる。なんと手にはパフェ!?

 

心の中で叫ぶ。思わず。

 

「早い!(ってか、すぐ出来るんじゃん!!)」

 

しかも、ストロベリーパフェと胡麻パフェの同時持ち。

通常であれば、同じメニューは同時に作るので、別のパフェを頼んだ時は間違いなく、到着時間が大きくズレることでお馴染みのピープル・ピープシ・システム。そのピープル・ピープで、5分で、そして2種類のパフェが同時にやってくるという奇跡。全北(北海道)も泣くレベル。

 

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写真:5分で到着したストロベリーパフェと胡麻パフェ。

 

色々と衝撃すぎて言葉にならない..

 

マスターは颯爽と去っていく。

 

去年も一緒だった家人と「まさか、こんなに早くやってくるとは」と、ともあれ、食べ始める。水がやって来なかったのは、パフェがすぐに出てくるという伏線だったのか...

 

パフェについては、相変わらずの美味しさ。甘くないなんてことはなく、本当に絶妙な程良い甘さ。量は多いのに、最後まで美味しく、飽きずに食べられる。胡麻パフェも胡麻の香りが口の中に広がって美味しい。ただ、胡麻パフェは全部食べるには少しくどいかも。2種類を交互に食べる分にはちょうど良い味。

 

結局、新規の客は誰も来ないまま、20分程で完食。

 

ということで上着を着てレジへ向かう。

 

「会計はまとめてで良い?」といういつものマスターの問いかけ。

そして、いつもと同じ2種類のチケット「クリーンカード」と5枚集めるとcoffeeかteaが1杯サービスになるチケットを頂く。

 

外は寒い。も、テンションが上がってしまうせいか、寒く感じないのが、ピープル・ピープの不思議。

 

それにしても、

  • 平日は混まない日もある
  • 客が少ないと実はすぐにパフェはできる

という衝撃の新事実を目の当たりにするという、貴重な訪問でした。更には最初から最後までお店を独り占めるするという贅沢な体験。

 

また、来年も必ず行きます。どうなることやら。

 

 

拝。

 

 

 

 

 

 

 

 

ミラジーノ L660S のイグニッションコイル交換

99%仕事用なのだけれど愛車。ミラジーノL660S。

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山の中をエンジンが唸り声をあげながら走り回ってます。

そんなミラジーノが先々週あたりに急遽、絶不調。発進が文字通りトロトロ。さらに加速もしないし、坂道ではベタ踏みでようやく登り切るくらい...

これはマズいとオートバックスに駆け込んでみる。

エンジンプラグかなということで、じゃあ直して!と思いきや、プラグ取り寄せに数日かかる上に、タイヤ交換の時期で忙しいということで翌週にピット予約。それまで何とか騙し騙しで過ごし、ようやく交換。これで大丈夫!と走り出したら、全く改善なし...

うーん、またピットインかなと、一人で色々と調べてみると、どうやらイグニッションコイルの可能性が。症状的には多分これっぽい。ただ、プラグ交換の情報はそれなりに引っかかるも、イグニッションコイルの交換についてはあまり分かりやすい情報がない。でも、またオートバックスに頼んで時間と工賃がかかるのものな、ということで思い切って自分で交換することに。

イグニッションコイル、これが安くはない。ミラジーノL660Sの場合、3気筒、つまりコイルも3本必要。ちゃんとした(?)HITACHIの社外品だと1本7,000円くらいするということで悩んでいたところ、さらに安い下記の商品に辿り着く。

これだと、1本2,700円くらい。これだったら失敗してもいいかなということで早速注文。ちなみに、ミラジーノの場合「90048-52126」という純正型番のようで、この互換品を買えばよいみたい。

さて、あとは交換するだけなのだけど、交換するための工具。色々と調べてみると、10mmのボルトを外さないといけないようで、下記のナットドライバーを購入。

これで準備は万端。

朝、寒い中、滅多に開けないボンネットをOPEN。まずはコイルなどが入っているエアクリーナーを開ける。3本綺麗にイグニッションコイル納まってます。それぞれボルトでしっかり留められてるので、新品のナットドライバーで緩める。割と狭いので、スパナなどを使うのではなく、ナットドライバーがあると便利。数秒でOPEN。

あとはイグニッションコイルをそれぞれ交換。ボルトを取ってしまえば、あとはコネクターが繋がっているだけなので、それは手で外す。あとは新品にコネクタ繋いで、戻してあげるだけ。またドライバーでキュッと締める。

緊張していたので、写真は撮ってないです。でも、5分ほどで完了。

 

さて、と、キーを回すと快調にエンジンが始動。サイドブレーキ解除してアクセル踏んでみると... 完全復帰!トロトロスタートが絶好調に。特に最近、朝はエンジンが温まるまで少し待機しないとエンストしてしまうくらいだったので、あまりの快調振りに少しテンションが上がる。

まあ、普通に戻っただけなんだけれど...

というわけで、簡単に交換完了。プラグ交換がテクニックがいるっぽいので車屋さんに頼むのが一番と思われるけど、イグニッションコイルは自分でも全く問題なさそう。

 

ということで、あまり情報がネットに無いので、記録も兼ねたエントリ。

 

拝。

 

目【Mé】について

アート 批評

芸術祭といったイベントが文字通りに乱立して、アート作品が文字通り、雨後の竹林のように、この世に形を成していって、それはSNS全盛期の今にぴったりじゃないかなんて。

気にも留めることのないつぶやきのように、一瞥しただけでその場を立ち去ってしまうようなアートも数えきれなくて、もはやその場にいる必要があるのか?と考えてもしまうわけで。

まあ、控えめに言って「5秒後には忘れてしまう」ような作品が大半で、やれ、景色が良かったとか、ご飯が美味しかったとか、お金と時間と労力をかけた自分の人生を美化するように、それ以外の想い出で固めるのが、昨今の流行りのよう。


基本的には作家性なんてどうでもよくて、その作品によって生まれる何かに価値があるのかどうかだけだと思っていて、それでも、本当に見るべき作家というのがいるという奇跡。


アートユニット「目【Mé】」の作品は、何でこんなにも圧倒的なのか。


インスタレーションという風に簡単に括ってしまうことはできるけれど、それは、なんというか、それは、どちらかというと「エンターテイメント」に近い。


そこにいる、ことで初めて生まれる感覚。


そして、その感覚が、もう別の次元に身体が飛んでしまったかのような、それは「目【Mé】」が標榜している「日常生活に突如立ち現れる非日常空間」という言葉がまさにそう。


そこには作品があるけれど、そこには、別の世界が広がっていて、

そして、「in Beppu」での『奥行きの近く』

 

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たぶん、この世界は一つしかないはずなのに、作品を訪れる度に、別の世界に飛ばされていってしまうなんて、それを毎回のように、この現実世界に現実化させるなんて、凄い、本当に。


書いていて、涙が出そうになるくらい。


「写真撮影禁止」といつも謳ってはいるけれど、そもそも、そこに広がっている世界を写真に写すことなんて不可能なんだし。

でも、体験した人同士には、そのどこかの世界について語り合うことができる。


作品を観終わった後に、作家について語ったり、その造形を語ったり、そんなことはどうでもよくて、そこにあった世界について語ることがしたいわけで。


そうじゃないとアートなんて観る必要なんてないわけで。


もう、「目【Mé】」の作品が、この現実世界のスタンダードになって欲しいです。


越後妻有の、かつて、別世界がその中に広がっていた、古いコインランドリーの前を通る度に、そう思います。


拝。

アートに痺れる体験、追憶。

アート 批評

 

ここ最近は世の中が芸術祭ブームということもあり、奈良の古都祝奈良を夜行-夜行で観に行ったり、電車に揺られてさいたまトリエンナーレに行ったり、瀬戸内国際芸術祭にようやく滑り込みで行ったりと、アートと向き合う機会が多かったのだけれど。


最近の芸術祭は、規模が大きいこともあり、著名な作家が多く参加していて、そういった作品は予算も多いので、もちろん作品の質も高い。


でも、本当に痺れる作品って本当に少ない。


そんな中で、久々に鳥肌が立った作品が、古都祝奈良のならまちアートの出展作品。

宮永愛子さんの作品「雫ーstory of the dropletsー」。

 

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染色屋をやっていた作業小屋の跡地。地面はむき出しになった地表が長年の作業によって踏み固められて、艶のある土色。そこにはかつて使われていたであろう道具類が静かに存在していて。

見上げると、一枚の大きな布が天井一杯に広がっている。

そこには様々な絵の具のような色が絵柄のように現れている。そして、地面に置かれた道具類を映したように、その輪郭が浮かび上がっている。

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作家は、手始めに、その大きな白い布を地面に多い被せた。
その時にそこにあった道具などを一度動かして。

そして、水滴を垂らすことで、長い長いこの工場の作業によって地面に撒かれた様々な染色の材料が、その白い布に付着していく。

もちろん、道具類が置いてあった場所には色はなく、布は白いまま。

その布が、天井に広がっている。

 

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様々な場所で、その場所特有のアート作品が作られているけれど、ここまで見事にその場所に封じ込められた時間と記憶を鮮明に浮かび上がらせた作品は、初めて。


サイトスペシフィックという言葉を使うには易いけれど、それを本当の意味で成し得ている作品って実は少ない。そこで過ごしてきた人と時間と思い、それらをすべて扱ってこそ、このような場所でアートが達成すべきことだし、それができないなら、ギャラリーで展示するしかないし。

 

この作品と対峙した瞬間、そこにかつていた人々と呼吸とか空気感が身体に押し寄せてきて、本当に身体の芯に衝撃が走った。


観た誰もが同じ感覚を抱いているかはわからないけれど、そういった感覚を感じるものが、まさにアートだなと、改めて思ったという、話。

 

投票しないこと、について。

雑記

結局、選挙に行かなかった。

理由を言うと、期日前に行くのが面倒でありつつ、結局、投票日当日に仕事だったために、間に合わなかったということで。

選挙に行かなかったのは久しぶりで、行かないということについては思うところもあって、それは一昔前に、知人と「選挙に行かないこと」の是非について話す機会があって。

選挙に行く理由をしっかり語れる人は少数派ではないかと思う。

むしろ、行かない人が大多数な状況において、その「行かないこと」について整理する必要があるのではないかと。投票率を上げるための呼びかけはあまり効果がないと思っていて、それよりは「行かないこと」がどういうことなのか(それはその個人にとっての意味付けではなく社会的な意味付けについて)をしっかりと認識することが必要ではないのかと。


今回、選挙に行かなかったことで、その仕事の帰りの新幹線で思いを巡らせてみた。


そもそも投票行動それ自体は個人の責任と判断の結果でしかないので、行かない理由をその個人に聞いたとしても、それは人によってそれぞれ異なるということでしかないのは明白。でも、ここで、その行動が社会においてはどのような意味を持つのか考えてみたい。


まず、投票することについて。
投票することを決めた人が実際に投票する際に、考えられる選択方法は二つ。

  • 一つ目は「賛同できる候補者あるいは政党がある」
  • 二つ目は「賛同できない候補者あるいは政党を消去法で消していく」

選択行動においては基本的にはいずれかの方法で選ぶことになるわけで。ただ、いずれの場合においても最終的にある候補者あるいは政党に投票した際には、それは社会的には「ある候補者あるいは政党に対する支持を表明する」行動として認識される。

ここが一つ目のポイント。

また、投票の際には白紙投票をするという選択肢もある。この場合は社会的には「どの候補者あるいは政党も支持しない」行動として認識される。

これが二つ目のポイント。

いずれの場合も、選択の理由は個人によって変わるかもしれないけれど、選挙の仕組みにおいて認識される結果は上記のいずれかになる。


さて、前述の知人との議論の際に、その知人は「行かないことによって自分の意思を表明する」と言っていた。そして、もし仮に、国民全員が投票に行かなければ、面白いことになるのではないかと。この「投票に行かない」ことがどのように社会で認識されるのか。これが問題で。行かないことがある種の批判的な行動であることを表明する人は多いとは思う。

でも、これって社会的には「いずれの政党あるいは候補者が当選しても、その政策を容認する」ということでしかない。例えば、投票率が25%だとして、「75%の人が投票にそもそも行っておらず、25%の中の半分くらいしか与党には投票していない。だから、国民の10%しか与党を支持していないんだ」みたいな思いを持っている人がいるかもしれないけれど、実際にはそうではなく、それは社会的には「国民の10%及び75%、すなわち85%の国民が与党の政策を支持あるいは容認している」というのが正しいわけで。

これって、すごく重要なことだと思う。

「何も変わらない」「関心がない」という理由で投票に行かない人は多いけれど、実は行かないこと自体も投票行動に含まれている、ということを認識する必要があるわけで。

そして、行かないことで、仮に気に入らない世の中になったことを人のせい(あるいは政府のせい)にする人が出てくるかもしれないけれど、それって完全に自分の責任でもあることを認識する必要がある。


だから、もし、すべての政党あるいは政治家が気に入らないのであれば、その時に選択すべき投票行動は「白紙投票」しかないと思う。仮に75%の人が白紙投票をしたら、上記の選挙結果は「与党は国民の10%の支持しか得ていない」ということになる。
こうなったら面白いと思う。本当に。


民主主義を否定する人はほとんどいないと思うけれど、その民主主義を貫く限りは、上記の投票行動の認識は持つべきだし、こういうことって投票の案内とかに記載した方が良いんじゃないの?

「仮に投票しない場合は、選挙結果を容認するという立場として解釈されます」みたいな。

政治なんて国民をいかに騙すかなんだから。

 

このクソッタレな世の中が1mmくらい良い方向に進んで欲しいと思うなら。


と思う。
まあ、投票に行かなかった自分が言うのも何ですが。
自民党なんてまったく支持していないけれど、結果について、文句は言えない。


拝。

 

 

ASA-CHANG&巡礼の、巡礼。

音楽

ある言葉があって、

同じ言葉でも、発する速度やアクセント、または時間、もしくは人が違えば、まったく異なった印象(あるいは意味)をもたらすことがある。

たった、一つや二つのフレーズだけでも、その一つ一つのフレーズを少しずらしたり、分解したり、あるいは繋ぎ合わせたり、そうやって自由に言葉を表現することがあっても良いと思う。


例えば、最果タヒの言葉はそう。


そして、そういえば、音楽でもそういった表現があって、それはASA-CHANG&巡礼という音楽で。

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*http://junray.com/profile/


『花』という2001年の曲があって、個人的には00年代の日本における最高峰の楽曲だと思っていて、今という時間に聴いても、初めて聞いた時の衝撃や昂揚感を思い出すことができて。

 

こんなに自由であることで、でも、考え抜かれた結果の自由であることで、その表現がこんなにも豊かになるんだなと。

 

ASA-CHANGの頭の中にあるイメージと、U-zhaanの超絶な技巧のタブラの音。
タブラという楽器がまさにそのイメージを具現化していて、その結果生み出された『花』『つぎねぷと言ってみた』。


ライブに何度も足を運んでは、その都度、文字通り、痺れた。


その後のメンバーチェンジのタイミングで、自分も日本を離れてしまったこともあり、遠ざかっていたけれど、最近になって『告白』という新しい編成による曲を聴いて、再度、その「痺れ」を感じた。

そして、先日、本当に10年振りにライブを観る機会があった。


タブラという楽器がないことで、どれだけのものが「損なわれてしまう」ものか、と少しの憂いがあったけれど、それは杞憂というもので、新しい、ASA-CHANG&巡礼が奏でる音楽は、また新しい表現、あるいは巡礼へと繋がっていた。

 

以前の編成時代の『影の無いヒト』という曲は、新しいアレンジで完全に昇華されていたし、そして、最近の曲である『告白』は、今という時代でしっかり輝いていて。


この日はOPEN REEL ENSEMBLE主催のイベントだったので、まだ、終演ではなかったものの、もう、そこであまりにも充実してしまった。

 

ASA-CHANG&巡礼の、巡礼。まだまだ。

 

拝。

 

 

2016年6月18日(土)曇り。大源太山へ登る。

雑記

 

今年は雪解けも早く、登山シーズン到来。

東京駅や越後湯沢駅で登山姿の方をしょっちゅう見かけるようになり、うずうずしてきたので、今年最初の山入りをキメてきました。

湯沢周辺はなかなか登山に関しては充実していて、少し足を延ばせば谷川岳などもあり、どこに行こうか悩む。調べてみると、山開きは大体6月下旬〜7月頭で、谷川岳のロープウェイなども、まだ運転していないので、山開き関係なく楽しめそうな山を探すことにする。

仕事の合間と、会議中にも、色々と探した結果、、

上越マッターホルン」の異名を持つ、大現太山に決める。

稜線歩きも充実しているし、沢渡りや鎖場などもあるらしく、なかなか面白そう。

帰りのセブンで飲み物と行動食等を買い求め、なんとかなるかと、あまり準備をせずに就寝。ところで、今回は地図は紙ではなく、アプリを使ったのだけれど、「YAMAP」が無料でそこそこ使えるマップもダウンロードできて、かなり良いです。今回のルート確認はこのアプリのおかげで何も問題もなくできました。


さてさて、4時の目覚ましで目が覚める。10分程「眠いので、やっぱりやめるか」という心の声と格闘し、4時20分に起床。山ウェアに着替えて、適当に荷物を詰め込み、車で出発。目指す大現太山の登山口までは1時間弱。途中のセブンイレブンで朝食にメロンパンを購入。

5:45頃に登山口に到着。狭い駐車場にはすでに2台の車が。長岡ナンバーと大宮ナンバー。もう出発している様子。早速メロンパンを食べながら、登山届を記入・投函し、ストレッチは面倒なのでパスして、5:55に出発。

f:id:houndedori:20160620222936j:image *写真:登山口

一眼レフは悩んだ結果置いていくことに。結果、装備としては

  • 水(500ml)x1
  • スポートドリンク(500ml)x1
  • ウィダーインゼリー x2
  • チョコレートバー x1
  • カップ麺 x1
  • おにぎり x1
  • バーナーとクッカー x1セット
  • トレッキングポール
  • 虫よけ
  • レインウェア
  • 携帯ライト

このような感じ。

大現太山までは3.5kmという表示。これが長いかどうかは行程の内容次第。無心で歩く。このコース、まずは沢を2カ所程横断するポイントが出てくる。水量はこの日はそこまで多くないものも、軽く靴ごとドボンと突入。もちろん、完全防水の登山靴は無傷。流石。

f:id:houndedori:20160620223003j:image *写真:沢渡り①

f:id:houndedori:20160620223024j:image *写真:沢渡り②

この沢を渡った後くらいから、一気に急な登攀へ。トレッキングポールの長さを調整しつつ、淡々と登る。先行者の姿も気配もまったく見えないし感じないので、完全に一人登山。熊鈴を持ってきていないので、熊だけは出ないようにと願いつつ、ひたすら登る。

しかし、この登攀がなかなか急で、なだらかになる気配もなく、かなりキツい。心拍数もかなり上がってしまい、早速「やっぱり帰ろうかな」という邪念もチラつく。「まずは稜線まで頑張ろう」という目標を持って、ひたすら登る。

1時間程登ると少しだけ視界が広がってくる。後ろの遠くには湯沢の市街地が点々のように見える。 

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思えば遠くに来たもんだ。

されど、視界は開けたもののガスっぽくもあり、大現太山は遠くになんとなく存在を感じるのみ。斜面もあまりなだらかになる気配もなく、ひたすら我慢の時間。スポートドリンクでこまかく給水と、一本目のウィダーを注入。頑張って歩く程に汗もかけば、汗のせいで、虫も寄ってくるし、不快感も上がる一方。何度か登っては下りて、登っては、、を繰り返すこと、また1時間。

今度はどうだ、と何か標識が上に見えてきた。そして、登ると「大現太山山頂」の文字!あっけなく、どうやら山頂に到達。しかし、周りはガスで見えず、虫は相変わらず。

f:id:houndedori:20160620223143j:image *写真:大源太山山頂!

そして、まだ、8時。

カップ麺を食べるには早すぎる。誰もいない山頂でカップ麺を食べるのもなんだなと思い、また、このあとの行程は、そこから七ッ小屋山から谷川岳方面に南下、そして分岐をシシゴヤノ頭を経由して、グルっと戻るコース。まだまだ先は長い。

というわけで軽く休憩して、すぐに出発。

ここからは気持ちの大分楽かと思っていたものの、いきなりかなり垂直に近い岩場を降下。緩んでいた気が一瞬で引き締まる。無事に降りたところで、七ッ小屋山方面を望む。

f:id:houndedori:20160620223200j:image *写真:四つん這いで下りました

と、実は大現太山より七ッ小屋山の方が標高は高く、ここからまた登りが続く。。ただ、稜線は風も気持ちよく、何よりも多少ガスっているとは言え、目の前に広がる景色を堪能。振り向けば、さっき登頂した大現太山の山頂はずっと向こうに。。 

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ここから、また淡々と歩く。と、向こうの方に人影が。どうやら先行して登っていた方?体力不足で苦労して登ったので、みんなはきっと速いんだろうなと思っていたけれど、実は登山口から大現太山の標準タイムは2:40。40分程早く着いたらしく、先行者に追いついたよう。ここまで来たら最後まで一人もいいな、と思っていたものの、やはり人影が見えると安心する。

その先行者には途中の休憩スポットで一度追いつく。2人いて、2人組?と思うも、どうやらそれぞれ単独行のよう。一人はソロで慣れていて、もう一人は仲間を見つけたいオーラを放っていました。ソロ慣れ男性が再開すると、もう一人も付いていくパターン。

自分はペースを乱されたくないので、しばし休憩して距離を開けることにする。

振り向けば、下りて、また登ってきた道がすいぶん長く見える。そして、マッターホルンの異名も持つ大現太山は、どうやらこちら方面から見て初めて、マッターホルンに見えるらしい。

このあたりで一本目のスポーツドリンクは終了。ただ、このペースなら残りの水でなんとかなりそう。ここからは、谷川岳方面との分岐まで、また小一時間。基本は稜線歩きなので気持ち良い!多少のアップダウンはありつつも軽快に歩を進める。途中、先行者の仲間見つけたいオーラのおじさんを抜かす。そして、そのまま分岐へ到着。ソロ慣れおじさんはどうやら谷川岳方面に行くらしい。

 

f:id:houndedori:20160620223235j:image *写真:稜線歩き、気持ち良い!

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自分はここからシシゴヤノ頭方面へ下りる。また単独行再開。

f:id:houndedori:20160620223314j:image *写真:分岐点

そういえば、この稜線で、逆の方から登ってくる登山者数名とトレランの男性1名とすれ違う。みんな、それぞれ良いペース。さて、シシゴヤノ頭はだいぶ先。そして、間違いなく、かなりのアップダウンが認められるコース。

覚悟する。そして、道がかなり悪い。あまり整備されておらず、かなり藪漕ぎに近い状態で進む。また1時間くらい。途中休憩がてら、何度も振り向いて、自分が歩いて来た道を振り返る。大現太山の山頂はいつの間にか遠く向こうに。人影も見えない。とにかく山々が大きい。自分の足で歩いて来たとはいえ、よくここまで歩いてきたもんだなと我ながら思う。 

f:id:houndedori:20160620223337j:image *写真:左奥に見えるのが大源太山。 

そして、山に登る理由を考える。

山に登ると、毎回のように、山に登る理由を実は考える。でも、特に理由はいつも思い浮かばない。正直、キツいし、一人は心細いし、まだフルマラソンを走る方が楽。でも、山は山で悪くない。とは思う。

そんなこんなで藪漕ぎ道を下りては登ってを3回で、ようやくシシゴヤノ頭。地図を見る限りは、ここからが下り一辺倒。水分補給とウィダーを追加注入(半分程)。尿意も感じてきたので、補給は適度な具合にする。でも、少し頭痛もしてきて、これは脱水症状の予兆なので、適度に飲む。

この時点で10:00頃。もうカップ麺は要らなそう。となるとバーナーもクッカーもいらなくなったわけで、かなり軽量化できたなと。むしろ、その分で一眼レフを持ってきたもよかったかなと。まあ、このあたりは自分の事前調査と準備が甘かったということで、次回への宿題とする。


そして、下山開始。登山というのは、実は下山が精神的にはかなりタフなもので、このあたりで自分の場合はほぼ確実に膝が悲鳴を上げるので(おそらくフォームが悪い)、トレッキングポールで負荷を分散させながら降りていく。また、下山の道というものは、頭でイメージしているものより、長いもので、下りても下りても登山口は見えてこない。熊にも怯えつつ、何回か登山客ともすれ違い、何か白いものが見えてきた、これは人工物か!?と期待するも、河原の白い岩肌。

でも、河原が見えてきたということは、だいぶ高度も下がってきた証拠。あとは怪我しないように歩くのみ。幸い熊は最後まで登場することもなく、ついに下山口が見えてくる。

f:id:houndedori:20160620223402j:image *写真:謙信ゆかりの道だそうで。

ちなみに、この下りて来たルートは「上杉謙信ゆかりのルート」らしいです。

下山口に出ると、とにかく車だらけ。駐車場は溢れていて(と言っても10数台しか入らない)、路肩にも何台も停まっていた。6:00スタートというのはかなり早かった模様。結局、5時間20分程で終了。参考タイムは8時間くらいなので、お昼休憩は取らなかったはいえ、かなり順調なタイム。

 

f:id:houndedori:20160620223421j:image *写真:満車!

流石に膝は痛い。

靴を履き替えて、軽く身体をほぐして、出発。

 

帰りはもちろん温泉で疲れを癒し、軽くご飯を食べて、帰宅。家というか宿舎に着いた瞬間にドッと訪れる疲労感。ベッドに倒れ込む。仕事なんてしたくない。

 

ともあれ、生きて帰ってこれて、良かった。大袈裟だけれども。

 

さて、次はどこの山を登ろうか。

 

拝。