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50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

形あるものにさえ、価格なんて、あってないようなものだという話。

雑記 買物

 

アートとか、詩とか、形のないものに、価格なんて、あってないようなものだけれど、最近になって、そもそも形あるものにさえ、付いている価格に信憑性なんて無いなと思っていて、それが普段のちょっとした買物なんかにも広がっているなという話。

 
半年程前に購入したiPhoneのケースを、気持ち良いという理由だけで、外したり付けたりを繰り返していたら、合皮なのであっという間にボロボロになってしまい(こういう気持ち良さってあるけれど、何なんだろう、正に、無駄に気持ち良い)、買い替えようかなと、適当に画像検索していたら、気に入る商品を発見してクリックしてみたら、それはヤフオクのページだった(ところで、新しいヤフオクのロゴとあの黄色って狙い過ぎだと思う)。
 
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価格を見ていたら割と入札件数も多くて、最終的には3500円くらいで落ち着きそうだったその商品は、即決価格が5000円台に設定されていて、その価格で買う人もいるんだろうなと思って眺めていたのだけれど、出品者はどうやらどこかの業者のようで、これはと思って試しにその業者の名前で検索をかけてみた。
 
そうすると、検索にあっさりと引っかかってきたのは、他のマーケットサイトのページで、そこのストアにヤフオクで出品されていた物と同じ商品も販売されていて、その価格はそのサイトを見た時点で確認されていたヤフオクの入札価格を下回る価格だったわけで、在庫が残り一つだということもあり、そのままクリックして購入してみた。
 
そのサイトもヤフオクやメルカリのように、ユーザページ上で出品者と支払いや発送のステータスの確認や、メッセージのやり取りができるようになっていて、早速出品者から届いたメッセージはとても丁寧で、取り引きは終始スムーズで、数日後に無事に商品も到着。
 
終わってみて、改めてヤフオクのページを覗いてみたら、落札金額は自分の購入価格+1000円。そこにあるのは、少しだけ立ち止まって、数分かけて調べてみるだけの違いなのだけれど、たったそれだけで1000円も支払う金額が変わるというのは、ちょっとした驚きで、改めて情報というのはお金とイコールだし、定価というものは何も保証していないのだなと思ったわけで。
 
 
試しに「定価」という単語を大辞林で引いてみると、そこには『商品の、決まっている値段』と書いてある。でも、もはや、決まっている値段なんてないように思う。それは、Amazon価格.comで買物をしていれば、明白な事実。
 
今の時代においては、「定価」という言葉が意味するのは『その商品が、今すぐに手に入ることを保証する値段』と言った方が正しいような気がする。
 
例えば、もう一つの話。Amazonでの買物。
 
最近、Kindleを買ったのと、Microsoft OfficeMac版を購入したのだけれど(本当はどちらも個別にエントリしたいと思っている)、その購入というのも「定価」との睨み合いだった。
 
Amazonは基本的に定期的に何らかのキャンペーンをやっていて、Kindleについてはプライム会員価格があるので十分に安いのだけれど、それでも何かキャンペーンをそのうちやるだろうなと思っていたら、案の定、3月の末日の2日間だけ(だったか知らん)更に2,000円程の割引キャンペーンを開催していて、それで最終的に購入。いわゆる、通常価格からは6,000円くらいは安く買えたわけで、これは一つの情報による買物だとも思う。
 
また、Mac Office版についても、同様に数日限定での割引をやっていて、そのタイミングで購入。どちらも急ぎで必要なものでは決してないので、こうやって買物をすることが結果的には一番得する選択。
 
ヤフオクの件とは違って、Amazonの場合は「そのうち更にキャンペーンが乗っかってくるだろう」という予想も入っているので、純粋な情報とは言えないけれど、それでも過去の実績を調べていけば、比較的簡単に手にすることができる情報で、その結果、この2製品だけでも、何も考えずに買物するより、それなりに安くなってしまうので、その商品の「定価」について考えることは大切だなと。
 
むしろ、これまで物理的なショップだけで行っていた買物においては「定価」は意味があったかもしれないけれど、オンラインがメインになってくると、そうともいかない。当然、ヤフオクやメルカリで中古を探すという選択肢も入ってくるし、物を一つ手に入れるだけでも、考えることもたくさん。もちろん、考えたくなければ、何も考えずに「定価」で買えば良い。
 
もちろん、誰しもが同じ物は必ず同じ価格で買う世界の方が、みんな幸せのような気もするけれど、もはやそのような世界を期待することはできないし、一方で、しっかりと物の価値を推し量るきっかけになるような気もするし、実は良いのかもしれない。
 
と思いながら、メルカリやヤフオクにまんまとハマっているわけです。
 
 
拝。