50の風景と、風景にまつわる言葉。

小さな世界の窓から見える色々な風景のひとつずつ。

アートに痺れる体験、追憶。

 

ここ最近は世の中が芸術祭ブームということもあり、奈良の古都祝奈良を夜行-夜行で観に行ったり、電車に揺られてさいたまトリエンナーレに行ったり、瀬戸内国際芸術祭にようやく滑り込みで行ったりと、アートと向き合う機会が多かったのだけれど。


最近の芸術祭は、規模が大きいこともあり、著名な作家が多く参加していて、そういった作品は予算も多いので、もちろん作品の質も高い。


でも、本当に痺れる作品って本当に少ない。


そんな中で、久々に鳥肌が立った作品が、古都祝奈良のならまちアートの出展作品。

宮永愛子さんの作品「雫ーstory of the dropletsー」。

 

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染色屋をやっていた作業小屋の跡地。地面はむき出しになった地表が長年の作業によって踏み固められて、艶のある土色。そこにはかつて使われていたであろう道具類が静かに存在していて。

見上げると、一枚の大きな布が天井一杯に広がっている。

そこには様々な絵の具のような色が絵柄のように現れている。そして、地面に置かれた道具類を映したように、その輪郭が浮かび上がっている。

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作家は、手始めに、その大きな白い布を地面に多い被せた。
その時にそこにあった道具などを一度動かして。

そして、水滴を垂らすことで、長い長いこの工場の作業によって地面に撒かれた様々な染色の材料が、その白い布に付着していく。

もちろん、道具類が置いてあった場所には色はなく、布は白いまま。

その布が、天井に広がっている。

 

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様々な場所で、その場所特有のアート作品が作られているけれど、ここまで見事にその場所に封じ込められた時間と記憶を鮮明に浮かび上がらせた作品は、初めて。


サイトスペシフィックという言葉を使うには易いけれど、それを本当の意味で成し得ている作品って実は少ない。そこで過ごしてきた人と時間と思い、それらをすべて扱ってこそ、このような場所でアートが達成すべきことだし、それができないなら、ギャラリーで展示するしかないし。

 

この作品と対峙した瞬間、そこにかつていた人々と呼吸とか空気感が身体に押し寄せてきて、本当に身体の芯に衝撃が走った。


観た誰もが同じ感覚を抱いているかはわからないけれど、そういった感覚を感じるものが、まさにアートだなと、改めて思ったという、話。