ある言葉があって、
同じ言葉でも、発する速度やアクセント、または時間、もしくは人が違えば、まったく異なった印象(あるいは意味)をもたらすことがある。
たった、一つや二つのフレーズだけでも、その一つ一つのフレーズを少しずらしたり、分解したり、あるいは繋ぎ合わせたり、そうやって自由に言葉を表現することがあっても良いと思う。
例えば、最果タヒの言葉はそう。
そして、そういえば、音楽でもそういった表現があって、それはASA-CHANG&巡礼という音楽で。
『花』という2001年の曲があって、個人的には00年代の日本における最高峰の楽曲だと思っていて、今という時間に聴いても、初めて聞いた時の衝撃や昂揚感を思い出すことができて。
こんなに自由であることで、でも、考え抜かれた結果の自由であることで、その表現がこんなにも豊かになるんだなと。
ASA-CHANGの頭の中にあるイメージと、U-zhaanの超絶な技巧のタブラの音。
タブラという楽器がまさにそのイメージを具現化していて、その結果生み出された『花』『つぎねぷと言ってみた』。
ライブに何度も足を運んでは、その都度、文字通り、痺れた。
その後のメンバーチェンジのタイミングで、自分も日本を離れてしまったこともあり、遠ざかっていたけれど、最近になって『告白』という新しい編成による曲を聴いて、再度、その「痺れ」を感じた。
そして、先日、本当に10年振りにライブを観る機会があった。
タブラという楽器がないことで、どれだけのものが「損なわれてしまう」ものか、と少しの憂いがあったけれど、それは杞憂というもので、新しい、ASA-CHANG&巡礼が奏でる音楽は、また新しい表現、あるいは巡礼へと繋がっていた。
以前の編成時代の『影の無いヒト』という曲は、新しいアレンジで完全に昇華されていたし、そして、最近の曲である『告白』は、今という時代でしっかり輝いていて。
この日はOPEN REEL ENSEMBLE主催のイベントだったので、まだ、終演ではなかったものの、もう、そこであまりにも充実してしまった。
ASA-CHANG&巡礼の、巡礼。まだまだ。
拝。