うーん。
例えば、アイドルのようなビジネスというのは、お客さんがその都度更新される(その時代の若者。多くは10代)ので、ビジネスとして成立するわけで、それはもうビジネスなので、合理的で理解しやすいのだけれど、、、
同じようなことが表現の領域でも起きるということがとても興味深い。しかも、それは観客側ではなく、表現する側について。
今回、を観て、そのあとにTwitterで色々な人の感想を見て、改めて思い悩んでしまった。。。
結局のところ、表現する側も生きていて、その瞬間の表現がすべてで、その手法がかつてこの世の中に表出していたとしても、それをやらざるを得ない、というのが運命のようなもので。
この舞台に出てきた、すべての要素に既視感を感じてしまった。。。たぶん、それは表現する側の問題というより、観る側の問題なんだろうな。
それでも、この世の中には毎回のように表現を更新し続ける稀有な劇団もあるわけで(もちろん、それはチェルフィッチュ以外にないのだけれど)、そこに希望を見て、観続けるしかないわけです。